朝日を見て、朝食を食べ、午前中はひとりで久高島ガイドツアーの贅沢にも3時間のフルコースを申し込み。
10月でも帽子と水分必携のまだまだ残暑の気配も感じないくらいに真夏の沖縄。
私とガイドさんの2人で3列シート、ゆったり6人くらい乗れそうな団体さん向けのカートで聖域巡り。

事前に読んだ本や、記事、動画などなど、調べれば調べるほど風葬や土地総有制など独特の文化や風習があったことが分かり、世界は広いとはいえ、こんな身近な日本に奄美や琉球の歴史の濃さに衝撃を受けた。
本の中には大主(ウフヌシ/ウプヌシ)という男性が登場し、ネットスラングのうp主(うぷぬし)が琉球王国から来ているのか?!と思うと、さすが陰キャの博識の高さに脱帽した。
『最高の聖域です。何人たりとも出入りを禁じます。』というくらいに神聖な場所だらけなので、一部写真のみで。
フボー(クボー)御嶽は久高島で最も神聖な場所。
オオゴマダラという蝶々が6〜7匹前後、こんなにたくさんの蝶々を1度に見るの初めて。
調べてみると沖縄の県蝶で、日本最大級の蝶で、神の使いだとか神聖な場所に存在するらしい。
今日は沢山いるなぁなんてガイドさんに言われると、歓迎されている?守られている?ような、人間の都合の良い解釈で幸せ花畑のような気持ちになってきた。
ツアー開始してすぐにおでこに聖水をつける場所があったり、宇宙と交信もできそうな侵入禁止のハビャーン(琉球を開いた女神「アマミキヨ」が降臨した岬)や、ヨガをしたり大木の中で瞑想しにわざわざ訪れる人もいるらしいガジュマルの大木もあったり。
それ以外の拝所等も、1つ1つ空気が違うような不思議な感覚があった。
そして意味もわからず、恥ずかしいのだけれど。
たくさんの拝み所の中で、突然なぜか不思議な感情が込み上げてきて、声が震えて泣きそうになった場所が1カ所あった。
それがイシキ浜の拝所。
パッと見ただけの写真では何も伝らない。
ただ十字に切り込みが入ったように見える四角い石が置かれているだけにしか見えない。
だけどこの場所で何かよくわからないけど、感動と感謝と切ないような色んな感情が入り混じった言語化できない不思議な涙がこみ上げてきた。
最近流行りのホルモンネタで言うならば、オキシトシンとセロトニンとエンドルフィンが脳内で一緒に出ているような感じ?
別に前世の記憶を持っている訳でもないし、直感はそこそこ持っているつもりだけど、霊感がある訳でもない。
自分でも謎すぎて、調べてみたけれど。
ニライカナイから五穀(米、麦、粟、黍、稗)の種が漂着し、琉球の農耕の始まりとなったとされる「穀物伝来神話」の場所らしいのだけど、さっぱりわからない。
去年から玄米和食に食生活の自炊に切り替えたことで日本人魂が覚醒したから、お米への感謝から泣けたのだろうか。
残念ながら麦はグルテンアレルギー疑惑で、現在もち麦や大麦すら食べられなくなったのだけどさ。
だから複雑な感情になったのだろうか。
私には霊感がないので、この場所でのあの感情、今でも謎だ。
無事に熱中症にならずに3時間ツアーを終え、御礼がてらガイドさんをお誘いしてかき氷を食べ、ガイドさんの神職になられた神エピソードや、政治の話、おすすめの本など色々聞かせていただいた。
その後は午後のガイドもあるとのことで、1日中あの暑さの中で説明しながらカート運転したりと、高齢なのに後世に繋いでいく使命というのか、感謝で頭が下がる思いがした。
お昼ご飯はマグロ丼。
ちょっと少ない・・・けど腹8分目、これくらいが健康なんだろうな。

美味しかったので、夜ご飯にも再訪。
刺身定食だけじゃ絶対足りないと思い、沖縄ソバのハーフも追加。

たまたま水曜定休日の飲食店があり、ご飯屋さんの選択肢が2軒しかなくて。
酒飲みさん向けの濃い味付けのお店か、こちらの定食屋さんかみたいな2択だった。
朝から朝日見て午前中ツアー周ったりとたくさん活動したから、1日がめちゃくちゃ長く感じて得した気分。
午後はシュノーケリング体験を。
島唯一のお店は体験予約ができなかったので、自分でラッシュガードとライフジャケットとシュノーケリングセット一式をバックパックに詰め込んで持参してきた。
とにかく水が怖いビビりなので、あえて岩がゴツゴツぶつかりそうな浅瀬で潜った。
潜ると言ってもほんとビビりなので、背面は全て水面に浮いていたと思う。
知らない人に魚見えますか?って聞かれたから、多分よほど潜れてなくて浮きすぎてたのではないかと・・・考えすぎか。

日帰りで訪れる人が多い久高島。
久高島で唯一遊泳可能なメーギ浜は、船乗り場のすぐ近くなので、時間になるとわーっと団体さんが来てはしばらくすると誰もいなくなるの繰り返し。
人気の少ないこの砂浜でひとりボーッと海を眺めていたら、またお天気雨がパラパラっと2〜3回ほど降ってきた。
なんだかそれが心地いいような、全く寂しいとか怖いとか孤独を感じない自然と空と会話しているような不思議な感覚を味わった。
そもそも子供の頃から雨女なので、自意識過剰くらいじゃないとそんな感情も芽生えない。
贅沢に3時間くらい、16時近くまでずっと日光浴したり海に浸かったりボーッと過ごした。
すっかり誰もいなくなったので帰る準備をしていたら、20歳前後くらいの若い女子2人組が奥の方にいた。
ちらりと見ると、ジップロックのような袋にわんさか貝殻などを詰め込んでいた。
まるで甲子園球児のような詰め込み方。
うわぁ、見たくないものを目撃してしまった。
久高島の自然は一切の持ち出し禁止。
知らないはずはないと思うのだけど。
持ち帰ると不運が続くというリアルなエピソードが語られているのに。
躾のなさ、子供の無知、怖いもの知らずというのか。
私も注意することもできず、だけどモヤモヤは晴れず。
久高島公園の前にあるレンタル自転車屋のおばちゃんにボヤいてみたら、ちょうどその彼女たちがレンタル自転車を返却に来た。
するとおばちゃん、『島のものを持ち出しても、結局不運が続いて怖くなって、また石返しに来ることになるさ〜』って。
おおお!これぞ森羅万象か。
個々の勝手な正義感で人を裁かなくとも、お天道様は必ず見ている。
そう気づかせてもらい、注意できなかった自分のモヤモヤ感情も少し晴れた。
2度3度と、バチが当たるといい。
夜ご飯を食べ終えて、満月の名残で夜がめちゃくちゃ明るかったので、夜散歩。
車も滅多に走っていない島の自然の空気は昼でも夜でも最高に美味しい。
日中の暑さも和らいで気持ちのいい夜散歩をしていたら、姉からの着信。
母のお見舞いへ行ってきた連絡と、旦那と離婚話しになっているという定期的な夫婦喧嘩の愚痴を聞かされた。
結局1時間半くらいか?
『離婚を受け入れるなら、精神的自立をしなさい。子供の前で離婚の話で騒ぐな、巻き込むな。自立の覚悟ができず、離婚したくないのなら、旦那の性格を変えようとするな、自分の思考を変えよ。』と念仏のように何度も繰り返し伝えた。
パートナーがいる人の愚痴悪口って、聞いていると結局相手に対する愛と敬意がゼロになってて、それが互いに鏡となって罵り合いブーメランが刺さってる。
自分を改める気がない人って、自分に非がないという思考回路から抜け出せないから同じ過ちをずーーっと繰り返してるように見えてしまう。
お客さんの悩みとか聞いていると、たまたま相性が悪く価値観も合わずに離婚する人たちもいるけれど、滅多にいない。
だいたい互いに無自覚に傷つけている言動に自覚ない人ばかり。
相手に変わってもらおうとか直して欲しいと繰り返し指摘して、喧嘩になっていること自体も愛とはき違えた共依存の甘えと執着なんだよな。
まだまだ私も全ての執着を手放せている訳ではないけれど、人と食への執着はだいぶ捨てた。
モノへの執着はまだまだ物欲あるなぁと自覚あり。
あらゆる執着を手放すと、人生が最高に幸せ感じれる。

そして偉そうにも姉の離婚悩み相談を聞き終えた後。
宿へ戻る途中の住宅街から、何気なく撮ったお月様の神秘的写真。
しかもiPhoneで無加工。

私には都合よく、虹の輪の中に、フェニックス?火の鳥?鳳凰?のような神々しい鳥の羽ばたく姿に見えるのだけど、気のせい?
昔から写真を撮るのは大好きで、たくさん撮ってきた。
でも月の虹の輪を撮れたのも初めてだし、こんな神秘的で神々しく見えるのもすごい。
しかもここ、神の島久高島で。
なんとなく意味や関連性が欲しくなり、気になり調べてみた。
フェニックスは再生のサイクルに焦点を当てた神話的モチーフで、個人的な再生と復活の象徴。
鳳凰雲が現れる人は、龍のご縁が深まっている時期という説もあります。
鳳凰は
•浄化
•再生
•縁起
•天命の道に戻す
という働きを持つため、「道が正しい方向に進んでいる」「流れが整い始めている」というサインとして受け取れることもあります。
フェニックスにしても鳳凰にしても、どちらのメッセージ性も十分有り難い。
30代の約10年、引きこもりと風俗嬢として闇で病んだところから、自力で再復活を遂げようとしているんだわ。
再生と復活のメッセージだとしたら、病気と手術を繰り返し、ぼっち人生の愛情飢餓でも死ぬに死ねなかった私の生きる意味も、生かされている意味にも気づかせてもらった気がする。
そして今回宿泊した宿のおばあさんとの出会い。
徐々に点と点が線で繋がり、気づき始めた。
私の夢と目標、生かされている意味。
あとは自分でそれを形にしてモノにできるか。
やることやらずに怠けて自分のことだけ考えて生きたら、多分見限られて病気になって神様に殺される。
次の人生の10年がめちゃめちゃ楽しみだ。
台風も急激に逸れてくれたし、呼ばれた人しか行けない島で1泊の予定が2泊になったり、お天気雨の歓迎を感じたり、神秘的な写真まで撮れた。
神仏習合とか自然信仰は、感謝の気持ちを忘れない人間の道徳心や人の心として大事にしていきたい。
宮本武蔵の「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」という言葉も共感できる。
風水頼りすぎて金ピカじゃらじゃらとか、拝金主義のスピリチュアルと一緒くたにはされたくない。
偶然にしても2025年、ほんとスピリチュアル要素連続しすぎじゃないか?
こうやってハマっていく人は思考が停止して、神頼みにハマっていくのだろうな。
新興宗教と変わらなくなる依存の危険性。
まあ私は神様に感謝はしても推し活はしない。
ほどほどに存在を感じて楽しむ的な。
とはいっても、気のせいと言えるモノなら言いたいけれど、今年後半の奄美大島以降、鳥肌レベルの幸運が続いていることを考えると気のせいとは思えないのだよな。
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