仏教思想が好きで、まんだらとして名前にお借りしているのだけれど。
宗教にのめり込みたいわけじゃないけれど、仏教って入信しましたとかいうわけでもないし、洗礼式とかもない(七五三が洗礼に近いらしい)から、なんかつい忙しかったり日々に追われていたりすると、心から仏教思想が離れてしまいがちになる。
いつか機会があったら仏教の長老に聞いてみたい。
『死ねないんです。死ぬことも生きることも辛いんです。』と。
死について否定も肯定もしないけど、自死についてどういうお話を聞かせていただけるのか、どういう答えをいただけるのか、すごく興味がある。
そんな風に考えることがあるからか、カラーバス効果なのかプライムビデオで興味深い動画を見つけた。
スリランカ仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老の講演会。
『死に方(死ぬときのこと)なんて考える必要ない。』
『地球が回り続けることのように死は当たり前。』
自分の死について考えたとき、ものすごく恐怖を感じることって誰しも一度はあるのではないかと思う。
それなのに穏やかな表情で、ジョークを交えながら死について自然のこととさらりと発言する姿に、食い入るようにみてしまった。
死随観といって、『全ての生命は必ず死す。』
『死は避けられない。』
『命は消え去る。』
『命は儚い。』
『死は確実。』
と毎日唱えて瞑想し、言い聞かせることが大事だと。
『死とは自然現象で悩む問題ではないのだ。』
死について人と議論することや話し合うことって、そう無い。
ましてや長老も言っていたけれど、死に際の人に対して日本人はそんなこと言わないで頑張ってくださいと言ってしまう傾向があるからそれは言わないでくださいとも言っていた。
まさにその通りだと思う。
死に際の人や死にたい人にもそんなことを言うなと思う。
義務感なのか条件反射なのか、自分の死に対する恐怖からなのか、そんなこと言うなとみんな口を揃えて言う。
『死にたい』という言葉をタブーに捉え、良識ある人間ぶっているだけじゃねーかと思えてならない。
私の狭い考えの中で言うと、自殺者の最後は周りの人に恵まれなかったんだろうなというのがある。
そんなこと言うなと言う割には自分のことしかない人とか、お金など搾取してたり自己中だったり、良識ある人間ぶって、相手が『死にたい』といえば『そんなこと言うな』と頭から全否定するだけ。
否定も肯定もせず、搾取もせず、ただ歩み寄る姿勢を見せてくれる、そばで話を聞いてくれるそれだけで良かったんじゃないかと。
接客業歴が長いので、たくさんの人間と知り合う機会が多かったが私の直接の知り合いで自殺者はいない。
頭から自殺願望者の言葉を全否定するタイプの姉の彼氏は自殺者。
姉の旦那も同類のにおいがするのだけど、案の定友人が自殺している。
何が言いたいのかうまく言えないけれど、なんとなく察していただけたら嬉しい。
生きることが辛い私の人生の責任をあなたは負えるのか?と聞けばおそらく答えはノーなはず。
ならば生きるのも死ぬのも自由であって何が悪い。
何もできないくせに無責任に死ぬなとか余計なお世話。
自死と病死を一緒くたにして考えてはいけないのかもしれないけれど。
生と死を考えたとき、生きることは苦行なのだから、そこに引き止めること自体が間違っている気もする。
だって死んだら極楽浄土だよ?
これが仏教思想の好きなところでもあり嫌いなところでもある。
『人間誰しも、何かしらに迷惑をかけて生きることは当たり前のことなのだから、迷惑かけずに死にたいという考えは捨て善行をして助けてくれる人に感謝の言葉を伝えるようにしなさい』とも長老は言っていた。
『生きること自体が他人に自然に迷惑かけているのに、死ぬ時だけ迷惑かけずに死にたいはただの自己主張でありわがままだ。』と。
そう簡単に価値観は変えられないけれど、何か少し気付きをいただいた気がする。
いかにして人に迷惑をかけずに死ぬかばかりを考えてきた私。
『見事な生き方が見事な死に方になります。』
この辺で少し目頭が熱くなりかけた。
『生きることに価値はないから、何のために生きているのか分からなくなったら、他の役に立つ生き方、慈しみで溢れる心、これらを生きる目的にしなさい』って。
生きることに価値はないと言い切ってくれたことが清々しくてなんだか嬉しくなった。
仏教徒を名のるなら一日一善とまでは言わなくとも、なんのために生きているのか、メンタル病んで自分を生きる価値のない人間と思い始めたら、人の役に立つことをするしかないな。
確かに承認欲求も満たされて、もしかすると死にたみも消えるかも。
12月に入って、死にたいってツイッターで呟いている風俗嬢さんが増えたし、死亡ニュースもよく目に付くようになると、引っ張られそうになる。
心乱れた時はまた長老の動画シリーズでも見よっと。
自分以外の人間から“死についての考え”を聞けてすごくいい動画だった。
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コメント
今年も読ませていただきました
大変な一年になり、まんだらさんも非常に生きづらい一年だっと思いますが
それでも、しぶとく(笑)気が付いたら生きながらえてる…
そんな、まんだらさんの生命力の強さをブログを通して垣間見ることが出来て、非常に元気をもらいました
偶にネガティブな事が多くて閉口するところもありましたが(ディスってすみません)
それでも、持ち前の行動力を巧みな表現力で書かれるブログは面白くて読ませていただいています
来年は、もっと厳しい年になるのか、笑顔あふれる年になるのか神のみぞ知るでしょうが、佳い一年になりますように
今後も楽しみにブログは読ませて頂こうと思います よい年をお迎えください
kikiさま
今年もブログを読んでいただき有難うございました。
来年もなんだかんだしぶとく生きていると思いますので、思い出した際にはブログを覗きにきていただけると嬉しいです。
2021年もどうぞよろしくお願いいたします。
*曼荼羅*
曼荼羅様
明けましてめでたいのかどうかわかりませぬが。
一度、コメント(セクハラの件で)したことがあります。
私の息子は11年前に自死しました。
死亡した日には風俗に行っていたようです。
人肌恋しかったのでしょうか。
仕事で実家を離れ一人暮らしをしてました。
私は狂ったように原因を探し(仕事が原因)、弁護士に相談し、悲嘆し、
うわさ話でもちきりになり対人恐怖になったり、呑んでは自分を責め、朝になれば
死んでたらどんなに楽になれるだろうかと思っていた事もありました。
仏教本も読み漁りました。
親鸞や、一休宗純。
Eテレのブッタや、般若心経。その他。
一時は尼になろうかとも思いました。
人の手を借り生まれ出て、死ぬときも誰かの手によって埋葬されますものね。
誰にも迷惑をかけたことなんてない人はいないですよね。
私は死ぬまで煩悩に悩まされていくと思いますが、それでも夜は明け地球は回る。
曼荼羅様の試行錯誤しながらもソロキャンプやバイク、温泉巡りなど、人生の愉しみを
みつけていってらっしゃるのを読ませていただいて、私も行ったような気になります。
日々穏やかに過ごせる日が増えますように。
週末寒波がくるようですね。ご自愛くださいませ。
お目汚し失礼致しました。
アリーさま
お久しぶりのコメントありがとうございます。
またブログを読みにきてくださってとても嬉しいです。
セクハラの件も息子さまの件もとてもお辛い経験をされて来ているのですね。
辛くてどうにもならなくて、人肌恋しくて、思い詰めて風俗に来るタイプの方などに私も出会ったことがあるのでお気持ちお察しいたします。
男性は特に男性だからというだけで我慢を強いられたり、人になかなか心の内を話したり、辛いと言いづらかったりするところがありますから、そんな時は黙って何も聞かずに抱きしめてあげるのも風俗嬢の役目だなと思っております。
思い悩み答えが欲しいのに答えが出ない、そうなると仏教に行き着く気持ち分かります。
子供の頃は分からなければ大人が答えを教えてくれたけど、大人になると誰も答えを教えてくれない。
大人は自分で導き出していかないといけないから、答えの出ない問題に直面すると仏門に行きつきますよね。
私ももっと仏教の教えを学びたいのですが、Eテレなんかでもやっているんですね。
長老や僧侶からもっとお話を聞かせていただいたり、とにかく私ももっと学びたいと考えています。
オススメの仏教本などありましたらぜひ教えていただけると幸いです。
私も煩悩まみれのなので死ぬまで苦しむと思いますが、そんな中でも趣味や息抜き、人生の楽しみ方を自分なりに見つけていこうと思います。
誰得記事?というくらい完全に自己満で、バイクやキャンプネタは趣味レポな記事になっているから、行ったような気になりますだなんてとても嬉しいお言葉です。
アリーさんも健康にお気をつけてお過ごしくださいませ。
ありがとうございます。
*曼荼羅*