昔から足腰元気なうちに屋久島へ行ってみたいと思っていたが、初めての鹿児島県が、ひょんなお誘いから奄美大島へ行くことが決まった。
長年いつもお世話になっているNさんからのお誘いで、Nさんの長年のご友人(私は初対面)と同世代の女3人で行く奄美大島。
Nさんとは宮古島以来2度目旅行。
行きたい人が行ける日数でゆるっと現地合流する感覚なので、飛行機も各自で取り、座席も各自で自由だから同じ飛行機に乗っていても隣り合わせでずっとべったりしなくてもいい、ちょうど良い距離感の旅行スタイルなのが、自立した女感あるNさんの最高に素敵なところ。
飛行機や宿などそろそろ手配しないといけない1ヶ月前ギリギリの時に、かなり仕事も暇モードに入り始めていたので行っていいものか相当悩んだ。
だけど今回無理してでも行かないと、海や島旅なんて自分には無縁でむしろ何をしていいか分からないくらいに苦手意識強く、あえて試すならこんなチャンスは2度とないと、借金してでもNISA解約してでも行けと、何かが背中を押す。
私の旅行といえばパックツアーのような内容が定番で、世界遺産とグルメと買い物がメイン。
今まで海や川や大自然に島旅なんて興味のないジャンルだったけれど、結果として本当に本当に心の底から行って良かったと、他に言葉が見つからないくらい素晴らしい出会いの連続旅だった。
2年前に宮古島に誘ってくださって、自然のパワーの素晴らしさを教えてくださったNさん。
田舎のない生まれも育ちも東京で、自然の素晴らしさを知らずに育った私が宮古島で海や太陽から得られるものすごいパワーを感じ、今回は人間の温かさや大自然から得られるエネルギーに畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
Nさんの友人がまたものすごく楽しい人で、いつも1人旅で運転している時は眠気との戦いになることが多かったのだけど、こんなに腹抱えて笑えるくらいに楽しいドライブはいつぶりだろうくらいに最高だった。
この10年、自分だけの行動では決して得られなかった見たことのない世界を教えていただき、命の恩人と言っても過言じゃないNさんには一生足を向けて寝られないくらいの素晴らしい知識とかご縁とかチャンスをいただいて、感謝という言葉だけでは言い表せられない聡明な方。
一人旅には一人旅の良さもあるけれど、誰かと行く旅もまた最高であることを思い出させていただいた今回の旅行。
若い頃の女子旅は、周りに地図も読めない受け身女ばかりで、いつも主催者をしてきて疲弊していたから、誰かにおんぶに抱っこでアテにするのではなく、それぞれ自立した大人同士のやりたいことをそれぞれが自由にやる緩さがまたとても居心地良くて。
人生の転換期としても、きっと一生忘れない最高の旅行になった。
3泊4日で、田中一村記念美術館、田中一村終焉の家、奄美パーク、奄美の郷、黒潮の森マングローブパーク、アランガチの滝などを見学したり、人生初のタンデムカヤックツアーとSUP体験にも挑戦できた。
基本的に人の紹介でしか観てもらうことができない奄美のユタ様、シャーマンの方にも観ていただくことができた。
日本に神様と交信するシャーマンというのか、職業霊媒師のような方々が今も存在することすら知らなかった。
ご先祖様にイタコをしていた者がいたらしいし、台湾の占い師に前世巫女と言われたことがあるから何だかこのご縁にものすごくワクワクした。
去年も紹介してもらった静岡の降臨系?交信系?の占い師さんも、鳥肌経験をしたから、人からの紹介系って侮れない。
もうこれは神様、仏様、N様様!!のお陰。
マングローブカヤックではあまりの暑さに熱中症と船酔いで、途中棄権を申し出て、ツアーグループから離れてガイドさんに引っ張ってもらいながら先に戻るという、相変わらず旅先で何かやらかす迷惑っぷりを今回もやってしまった。
10年前のインド旅で、40度近い猛暑の中で気を付けていたにも関わらず嘔吐と下痢と寒気が止まらなくなるレベルの熱中症やらかした経験があるから、指先がビリビリ痺れてきてこのままだと熱中症になるぞのラインが早めに気がつける様にはなったので、大事には至ることはなかったが、もう少し鍛えることはできないものか。
人生で今が一番元気で健康になってきたとはいえ、昔から体力はなく病気ばかりで引きこもりがち、三半規管の弱さも含めてまだまだ人並み体力にはほど遠いのかもしれない。
もっと心身鍛えて精進せねば。
九州エリアより南下は醤油も甘い印象なので、味の冒険が強いのではないかとドキドキだったが、お魚も美味しいし、南の定番もずく天ぷらも美味。
観光客向けのパン屋さんやハンバーガー屋さんなど、どこの店も比較的良心価格だし、予想の上行くクオリティで驚いた。
3連泊したかった貸別荘が初日満室で2泊しか取れず、初日は宇検村に1泊して、その後龍郷町にある一軒家丸ごと借りられる貸別荘に2泊して、地域活性の取り組みで、地元の町内会の女性方のプロ級の家庭料理を作っていただいた奄美の郷土料理の鶏飯などを届けていただき、奄美の民謡の生演奏と生歌を目の前で聴けた最高の贅沢旅だった。
まだ新しい一軒家で、他の観光客と会うこともない静かな場所で、海までもすぐの徒歩圏というそれだけでも超穴場感。
最大6名で泊まれる寝室に、プライバシー守られながら日当たり良好な小さな庭、大きなダイニングテーブルにシステムキッチン、冷蔵庫には白出汁まで置いてあるほど色んな調味料が豊富で、食器に鍋など必要なもの何でも揃っている完璧な貸別荘だった。
1人で泊まるには広すぎるので、誰かと行く旅の時にはぜひまた泊まりたい。
今振り返っても、高級スイートルームに泊まる旅より遥かに贅沢な体験ではないかと思う。
そして何よりも不思議体験の始まりとなったユタ様鑑定。
3人で鑑定予定だったが、1人あたり2〜3時間かかるということもあり、どうしてもスケジュールが合わず、Nさんは今奄美1と評判のユタ様を予約し、私とNさんの友人は別のユタ様に観ていただくこととなった。
近くまで行ったら電話を掛けて迎えにきていただき、一緒にご自宅に伺う流れ。
持ち物はユタ様によっても変わるようで、事前確認は必要。
鑑定料5,000円と天然塩とお酒を用意したが、今回のユタ様はお酒は不要だった。
ちなみにNさんのユタ様は、お塩不要でお酒のみだったとか。
先にNさんのご友人から鑑定開始。
Nさんのお友達は、旅行前の初顔合わせ食事と合わせて知り合って4日目くらいの仲なので、互いにまだよく知らない。
襖扉を開けた二間続きの和室で大きな神棚祭壇のある隣部屋に2人が移動し、鑑定中の会話を隣の部屋から一緒に聞くスタイルが少々気まずい。
私の職業も本名も知らない彼女の前で、ありのままの話ができるのか不安が過ぎる。
いざ私の番。
後ろで彼女が聞いていることなど気にしていても仕方ない。
ええい!もう開き直った。
いつでもどこでも昔からこういう時に聞くことは決まっている。
『一生独りなのでしょうか?』と『今の仕事をそろそろ辞めたいところだけど、次の仕事は何をしたらいいか?』だ。
時系列での会話の流れをすぐにメモしなかった自分のミス。
ブロガーとしたことがやらかした。
だけどそれを言い訳とするならば、気持ちが満たされすぎてどう書いていいのかわからないくらいに幸せホルモンで満腹になっていた。
仕事は男性専門のお悩み相談と伝えた。
あえて風俗と言わずとも、前後の話から多分うっすら伝わったと思う。
すると今の仕事は続けなさいと。
思わず『えええ?!』と声に出る。
あなたの心身弱り苦しみ、そこから脱せた経験を通して『心のあり方』を人に伝えることを使命と思って続けなさい的なことを言われた。
あなたの前世は武士で、たくさんの男性を殺してきたから、現世で男性に善行をする義務がある的な話も。
長年女性に好かれないし、女性らしい女性からは嫌われがちで、職場や学校でも孤立し大抵いじめられるかマウントされるかのどちらかばかりだった。
女性の群れに入れないことに違和感があったのは、この使命を果たす義務のせいか?
結婚できない、女性仲間の輪にも入れない、この孤独は試練か使命か前世の罰なのか?
風俗嬢の経歴も10年以上になったというのに、いまだに風俗嬢の仕事仲間友達は皆無。
ほとんどの風俗嬢が1度会ったら去っていった。
なぜなのか?私に何か問題でもあるのか?とずっと自分に問いかけてきたけれど、最近ようやく答えらしい答えを自分なりに出して決着つけた。
多分私の仕事は風俗嬢だけど、お金に男に魂を売って心まで失った風俗嬢ではないのだと思う。
クソ客や毒親の苦しみに甘んじて愚痴吐きながら生き続けている性格でもない。
もがきもがいてそこから這い出る努力はし続けた。
言うなれば風俗嬢でも売春婦でもない、誇り高き風俗戦士みたいな気持ち。
特に食事を変えたこの1年半、思考も価値観もガラリと変わり、風俗のお仕事はしていても自分を風俗嬢だと思うことがなくなった。
お陰で今ようやく数少ないけれど楽しい趣味友もできて、男性脳的なサバサバ思考の女性だけが残り、なんか色々と腑に落ちるところはある。
6年前の台湾の占いでは前世巫女と言われたけど、巫女と武士って性別すら違うじゃないか。
時代が違うから両方通ってきたのかしら。
平安時代頃は巫女→江戸時代頃は武士→昭和後期生まれの輪廻転生風俗嬢だとしても面白い。
昔の職場で前世占いしてもらった人の中にはありんことか、箪笥とか、海賊なんて言われた人がいたから、毎回人間で、しかも毎回日本人なんだっていうだけでも相当嬉しい。
『心の在り方を伝えなさい』か・・・。
そういえば、ブログ記事をご丁寧に印刷して書物のようにして読んでいます!なんてレッスン時に持ってきてくださったお客さんも結構いたし、本にしてくださいとか、今でもたまに似たようなことを言ってくださる方もいると伝えると、『もしかして貴女、こっち側(鑑定する側)の人なんじゃない?見える人?』と聞かれてまさかのびっくり。
『去年くらい前までは、なんか変な物陰は視界に見えていたから、あぁ統合失調症の始まりかななんて思ったことはありますけど、植物油を徹底的に抜いたら幻覚は治りました。』と言ったら苦笑いされた。
そう、植物油が神経疾患に悪いと聞いてオリーブ油とかドレッシングとかマヨネーズとか全部捨て、加工食品に植物油脂が必ず入っているから自炊徹底し体に入れないようにしたら、飛蚊症も夜盲症も幻覚も、何なら膝痛も関節リウマチ初期?手のこわばりも全部治った。
視界が開け脳が覚醒したお陰で個々の問題点やメンヘラの原因も見えるし、自分もあの苦しみから抜け出してしまうと呆気ないもの。
人間の面白みに欠ける。
メンヘラや厨二病発している時の人間の思考は面白い。
だからもっともっとみんなもがいて苦しめ苦しめって思う。
己の弱さと向き合って生きている人間ほど、悟った時に得られるものはでかいから。
この世界で悩み苦しみの原因となる根底にあるのは全て執着と甘え。
まだまだ自分も道半ばだけれど、1つ1つ自分を甘やかすことをやめて、他人への執着を手放せたら最高の幸せを心で感じれる。
途中で無理ギブアップをしたいなら、死んで輪廻転生しやり直せばいい。
あまりにも自分の人生をパートナーや家族に預けちゃって、自分の人生を自分の足で歩んでいない人の多いことか。
お釈迦様は菩提樹の下で約6年座り続けて悟りを開いたと。
振り返ってみると、私は何日も数週間も人と話すこともない日々を繰り返し、愛情飢餓に孤独の寂しさに10年苦しんだけれど、自分の弱さと向き合い続けたこの苦しかった10年の引きこもり修行があったからこそ心が強くなり、あらゆる執着を手放すことができた。
そして今、自然な繋がりとご縁と健康に感謝できる人生に満たされて楽しすぎる。
ようやく独生独死独去独来の考えを自然と受け入れることができた。
元メンヘラが健康になると、つまらないことを書いている実感はある。
あまりにも独りの時間と長く向き合いすぎて悟ってしまった。
普通の人が通る結婚や出産や子育ての機会は失ったけれど、貴重な30代の10年だったなと思う。
精神的に大人になると、人として面白く無くなるなという自覚も芽生えた。
私もここ2年ほど、めっきりつまらない大人になったと感じているから。
大人になっても子供のような無邪気な好奇心を持ち続けることって難しいことなんだな。
少し脱線したので話戻って、『この約10年、Nさんには何度も何度も命を救われて来ました。』
『両親揃ってどうしようもないいわゆる毒親で、兄姉3人も性格に問題ありの毒家族持ちで苦しみ、担当医からも絶縁しなさいと何度も言われたけれど、切りきれなかったのは私の心の弱さと自覚しているんです。』
『そんな辛い30代を過ごした私に、付かず離れずの適度な距離感でいつも生存確認をし続けてくださったのはNさん、彼女だけなんです。そして今回ここに来れた縁も彼女のおかげなんです。』と言って感謝が溢れすぎてボロボロ泣いた。
『母親はあなたにとって試練。』とのこと。
確かにあれ嫌これ嫌なんて、わがまま放題好きなことだけで生きていたら人間ダメになる。
マスターベーションだけの人生なんて、つまらない薄っぺらい人間にしかならない。
楽あれば苦ありだ。
働ける健康な体に感謝し、お仕事をいただけることにも感謝。
子育て経験もなく、この先も自分のことだけの人生になってしまう可能性もあるのだから、どうしようもない毒親を試練と受け止めて見届ければ腹も立たない。
親の死を見届けて、自分の死に様を考えるための糧にしよう。
クズ親は相当前世で徳を積んだか、来世は地獄だなと思考で処理して、心で受け取らない。
聞き流せば笑えてくる。
手術も多く、体も弱い人生だったから今が人生で1番元気になってきましたと伝えると『今あなたは神様に生かされているのだから、人のために生きなさい』的なことも言っていた。
実際自分でも病気して治るたびに『今自分は生かされている』はものすごく感じていたのでしっくりきた。
今のような治療や薬がなければ20歳でとっくに死んでいたであろう命。
自分のことだけ考えて、自分の欲だけにまみれて生きていたら、きっと神様に全身病気振り撒かれて即殺されそう。
自分に子供がいないのであれば、救いを求めているたくさんの人のお手伝いができる。
私には守護霊の他に頭上に神様もついているらしい。
そういえばセックスレッスンを始めた当初、なんでそんな斬新なこと思いついたのかとよく聞かれたけど、『上から声が降って来た』といつも聞かれるたびに言っていたことを思い出す。
ただのADHDとASDによる脳内の声だとばかり思っていたけど、そうじゃなかったのかもしれない。
発達障害の特性でも統合失調症の幻聴でもなければ最近も奄美大島から帰宅直後、母のお腹が過敏性腸症候群でガス爆発寸前みたいになっていた時に、頭上から『あと3年』という言葉が降って来た。
気のせいなのか、私の希望の念だったのか、どういう意味になるのかは3年後にきっと分かる。
家族には一切恵まれなかったけれど、私にはどんなピンチ時でも絶望のどん底時でも、必ず救ってくださる通りすがりの人が現れていたから、絶対に神様に守られているという自覚はあった。
鑑定中、少なくとも覚えている範囲で3回は泣いたと思う。
『若い時、相当お金に苦労したのね』と言われた時は、4人兄姉で末っ子の私だけ専門学校の学費を親から出してもらえず学生ローンで自分で払ったことを思い出して、もう嗚咽漏れるかと思った。
振り返る余裕もなかったけれど、多分後ろでNさんの友人はドン引きしていたと思う。
『心の在り方を人に伝えなさい』
『今貴女の命は生かされているのだから、人のために生きなさい』
『母親はあなたにとっての試練』
ものすごく晴れやかな気持ち反面、泣きすぎて心が湿気で息苦しい。
日本の先人偉人の言葉に『能力は自分のために使ってはならない、世のため人のために使いなさい』という言葉をふと思い出した。
あぁ風俗という形で悩める男性にレッスンはしているが、これはただのソープ嬢でもデリヘル嬢でもない形なのには与えられた使命?何か意味があるような気がしてきた。
閑散期になるたびに転職しようと何度も模索していたけど、ここ何年か求人サイトなど調べて応募しようとすると決まって仕事が忙しくなるを繰り返してきたから、何となく辞めてはいけないメッセージを感じてはいた。
これは必要としてくれる人がいる限り、まだまだ続けなければいかぬか。
アドバイスとして、『氏神様にお参り行きなさい。』と『久高島へ行ってみてはどうか。』との言葉もいただいた。
どちらも初めて聞くワードで良く分からず、はてなマークしか浮かばない。
『久高島に何しに行くのですか?』と聞いたら『神の島で、呼ばれた人しか行けない島だから、何かあるなら行けば分かるから』とのこと。
YouTubeなど観ても、調べれば調べるほど久高島がとんでもなく神聖な島すぎてビビる。
うっわ、プレッシャー・・・と一瞬思ったけど、冷静に考えてみたら誰にも期待されてなかったわ。
そして私の住んでいる場所の氏神様を調べたら、まさかの穴八幡宮で。
子供の頃寂しい思いをしていた時から身近な存在で、近いからと商売繁盛やお金の融通してくれる神様だとかの邪な理由で、今年の初詣に何十年ぶりかの参拝。
そこから5月に5年前タイマッサージ留学時に知り合った友人から鎌倉散策に誘われて、何となくの流れでたまたま鶴岡八幡宮を参拝。
八幡宮の神様に守られている?!
そして奄美大島へ行くことを決め、氏神様にお参りをと助言をいただきすぐ参拝と毎月のお朔参りをし始めた。
鑑定してもらったその夜から、仕事の依頼がじわじわと入るようになり、この8年やってきて1ヶ月の中で閑散期多めの繁忙期ちょっとで忙しい時は偏ることが多かったのだけど、盆と正月が一緒に来たかのように7月8月とずっと忙しいが続いた。
お陰様で国民年金と国民健康保険の支払いが捗る捗る。
そして9月は思いもしなかった長年の夢が叶いそうな大きな話が舞い込んできた。
ピラティスのクラスでも、学生時代から女性の輪に入れてもらえない話しかけられることも皆無だった人生なので1番後ろの端っこで受講していたのだけど、『先週お休みでいらっしゃらなかったですね』って知らないおばさんに初めて認知されて話しかけてもらえたことが、涙出るほど嬉しかった。
学生時代からぼっちで腫れ物扱い、それが無視されるでもなく普通に人としてそこにいることを認知されて、しかも女性に話しかけてもらえるなんて滅多にないからドキドキしてしまった。
お客さんからのリピート予約がべらぼうに増え、今までは『ありがとう』の感謝の言葉が普通に最上級に嬉しい言葉だと思っていたけれど、『人生のターニングポイントになりました』とか、『まるで神様みたいですね』とか恐れ多い言葉に変化した。
『元病んでいた人にはとても見えません、信じられない』ってここ2ヶ月でめちゃくちゃ言われるようになった。
それくらいに奄美大島の人間と、熱中症と船酔いするくらい自然のものすごいパワーをいただいたのだと思う。
唯一、お馬鹿でも正直素直だけは取り柄なので、狭い世界で思考が凝り固まっていた時代から抜け出せた思考を伝えるようにしてみたら、お客さんからの反応の返りが全く変わったので、ものすごく手応えを感じれている。
八幡宮の神様方に呼んでいただいたような気がしてならない。
これは久高島へますます行ってみたくなった。
過度の期待は禁物。
貸別荘で地元町内会の女性陣が手作り料理を運んで盛り付けてくださっている時にもユタ様のところに行ったら久高島に行ってみてはと提案いただいたと話したら『あなた見える人なのかい?!』と目を見開き驚いた顔したおばちゃんたちが私の顔を覗き込んできた。
と、とんでもねぇっす、恐れ多すぎる。
ここででも『去年まで幻覚見え始めてて、統合失調症の始まりかなくらいしかわかりません』と言ったら笑って安堵?がっかり?みたいな感じで話はさくっと終わった。
ただの神経疾患で何も感じないかもしれない可能性は大だから、島のゴミ掃除でもして自然のパワーをいただき帰ってくるかなくらいの気持ちで行ってみることにした。
観光客気分で失礼にならないよう、久高島について書かれた本や原始神社や起源の本、おさらいを兼ねて神話の絵本なども買ったので事前勉強予定。
そして『あなたはまだ自分の力を全部出し切れていない。全部のパワーはあげられないけれど、分けてあげる』と言って、両手のひらを上に向けたところにユタ様も両手のひらを私の手の上に近づけてかざし、温かい気を送ってくださった。
2ヶ月以上経過して、ふんわり思い出せる内容はこんな感じ。
Nさんと一緒に鑑定してもらう予定だった奄美のユタ様とは予定が変わったけれど、あえてこの琉球系のユタ様と繋がったご縁には何か意味がある感じがしてならない。
この拙い説明を読んでも、たまたまの気のせいだろうとぐらいにしか思われないと思うけれど、自分でしか不思議の繋がりは分からないからそれでいい。
まんだらを名乗り約10年、ずっと仏教思想や仏教哲学に救いを求めて読み漁っては修行と思ってきて、それでもまだ心の中のバランスが悪い何かが欠落していると感じていてようやく辿り着いたのが神道。
日本人の魂には仏教と神道と儒教の3つの精神が基盤になって、そこから武士道精神へと通じ、敗戦の結果、世界最強と言われた日本民族魂が失われ、令和の今では心も体も弱り果てた。
どうも儒教だけがまだしっくりこなくて説明が難しいけど。
日本には八百万の神がいて、お米1粒1粒にも神様が宿るから食べ物から命を頂くという感謝の考え方が長年忘れて好きに食べ放題生きて、すっかり忘れていたことだわと思い出させていただいた。
自分1人だけで奄美大島行っていたら、とてもじゃないけれどこんな素晴らしい出会いには辿り着けなかったと思う。
奄美大島もユタ様も八幡宮の神様も久高島も全て行くと決めて行っているのは自分だけれども、初めは自分の直接意思ではなく、何か見えない自然の力でそうなっているように感じることがまた面白い。
言語化できないけれど奄美大島から帰ってきて以来、7月以降の人との関わり方がものすごく良い方向に変わった。
何かに守られている感もものすごく感じる。
子供の頃から雨女だったのに、7月以降の天気が重要なイベント全て晴れていることも不思議。
遅延が発生した時も運良く巻き込まれなかったり、新幹線のチケット取り忘れて満席ピンチだったのに直前にゲットできたり。
お金の融通の神様、穴八幡宮にもお朔参りをしているお陰か?完済に向けて応援してくれているようにすら感じる。
お陰で自分の能力も理解できてきたし、次の人生の目標もやりたいことも見つかった。
次は久高島旅が待っている。
あの島全体がまるでパワースポットな奄美大島へもまたご報告がてら行きたい。
47都道府県中46都道府県を制覇したので、残る滋賀県を終えたら島や離島が何百何千とある日本の島巡りを楽しみたい。
日本の神秘パワーのお陰ですっかり魅了され、海外旅行なんて興味薄らいだ。
生まれた時からすっかり欧米文化や教育に洗脳されていたけれど、戦前の日本のことを調べれば調べるほど気の使い方や體の使い方、感性や真面目で勤勉な国民性がたまらなく愛おしく感じてきた。
日本人に生まれてきて、日本で暮らせて、それだけで最高に幸運だと思う。
神様のゆかりの島がたくさんあるから、老後まで歩けるうちにゆっくり楽しみながら神めぐり旅でもしようかな。
長かった不調の約10年。
アバター名をたまたま仏教から名前として拝借し*曼荼羅*として風俗嬢ブロガーになり、その当時に仏教の思想に出会い、心身不調で引きこもりと孤独の精神修行を果たし、悩んでいる人をお手伝いする形で風俗レッスンで8年陰徳を積んだ結果、今年の私はなぜか神様に守られていると感じずにはいられない。
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