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初めてのお朔日参り

 

7月1日に奄美大島でユタ様にお会いしてから、44年生きてきて一見すると些細な変化かもしれないけれども、自分の中ではものすごく大きい変化が続いた不思議な1ヶ月だった。

お正月の初詣に行けるくらいの体力もついたことで、たまたま近いことと昔からの馴染みで選んだのだけど、初詣に行ったことでご縁に繋がったのではないかとまで考えるのは大袈裟だろうか。

ユタ様からアドバイスしていただいたことの1つに『居住する地域の氏神様をお祀りする神社への参拝』を勧められた。

奄美大島から帰ってきて、自分の住む家の氏神様をすぐに調べた。

すると子供の頃からずっと寂しい思いをしていた年末年始の儀式の神様が、今の私の家の氏神様だったと知って驚いた。

なんだかまるで引き寄せられたかのよう。

子供の頃から寂しくて寂しくて仕方なかった年末年始。

親に頼まれてイヤイヤながらもずっと一陽来復御守と破魔矢を貼り続けてきた役目が、3年前にこの地に運良く引っ越して来れて、自分の守り神になってくださっているなんて考えると、ものすごく遠回りをしたけれども、人生失敗と気づきの連続で、病気を繰り返しても死なずに今健康に生かされていることへの感謝で胸がいっぱいになった。

そんな話をさらっと筋トレの合間にパーソナルトレーナーさんに話したら、トレーナーさんも新宿のジムに出勤する途中、新大久保付近にある神社で毎週参拝をしていた話をしてくれて。

何とも不思議なご縁を引き寄せてもらったかのように感じる話をしてくださった。

まだまだ若い28歳のパーソナルトレーナーさんだというのに、その辺のヤリ目マッチョとは違って精神鍛錬としても色々教えてくださることが多く、出資者に恵まれ独立までされた実力といい、私も勇気を出して1人目のトレーナーさんをチェンジしなければ出会えなかったから、何かに少しずつ引き寄せられている?呼ばれている?を感じずにはいられない。

自分の弱い心と向き合うために、感謝の気持ちを忘れないために、春と秋の年に2回のお墓参りでご先祖様に話しかけてきたことは無駄ではなかった。

そのおかげで今、不思議なエネルギーに救われた。

躁鬱の躁なだけ?かもしれない。

なんだかわからないけれど、奄美大島に行ってから覚醒した感がものすごく増してて、自分じゃないみたい。

とにかく人生で今が1番元気を感じれている感覚。

死ぬ前触れなだけだったら笑うけど。

生まれも育ちも東京っ子で、田舎を知らない私にとって、奄美大島で英気を養った大自然のパワーってものすごいんだなってことが凄くわかった。

またすぐに行きたくてたまらない。

何かわからないけれど、やり残したことがたくさんある感じがして。

大自然に触れたくて心と身体がソワソワしてる。

ただのADHDの多動衝動のせいなだけか?

いちいちネガティブ思考発動するのは変わらない。

だけど、その前にユタ様に『貴女は相談をする側ではなく見る側の人間なのでは?』と、一度、神の島久高島に行ってらっしゃいというアドバイスをいただいたので、まずはそのミッションから。

そして無礼にならないように、聖地巡礼へ行くまでにできることを。

全くわからないので、とりあえず神社の起源や斎場御嶽、久高島と琉球神話などの本をいくつか買ってみた。

氏神様に毎月のお朔日参りをして、毎月無事に生かされていることへの感謝を伝える習慣を身につけたい。

老いても決して驕り高ぶらず、実るほど頭を垂れる稲穂でありたい。

自分の心の在り方、その戒めのためにも習慣づけたいなと思う。

実際に行ってみたら、近隣住民のお朔日参り(おついたちまいり)をしている人たちが、若いホスト風な男性とか意外と信心深い方がいることに驚いた。

さらにもっと健康に余裕がでてきたら、早朝の朝活参拝もできたらないいな。

病弱を言い訳に甘んじて生きるのも、どん底から這い上がるのも、全ては自分次第。

動ける身体、病まない精神であるだけで、こんなに勝手に幸せホルモンがドバドバ出る日が来るなんて、いまだに信じられない。

人に感謝を感じていたら、寂しいなんて感じている暇すらない。

昔は守るべきものがある人間は強いとかなんとかいうけれど、個人主義がすっかり定着した今の時代では、どん底から這い上がった経験を持つ者が1番強いと思えてならない。

このブログを始めた頃の10年前の私に伝えてあげたいくらい。

自分の苦しみ=執着

即ち、それは甘えと弱さ

それとひたすら向き合い、努力し続けていけば大丈夫、己の未来は明るいのだと。

 

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