去年の夏、東京と田舎の2拠点生活をしている母の地方住居の方のマンションを9階から最上階の10階へ引っ越しをした。
1LDKで家賃9万円ほど。
私は去年9月に2LDK8万円弱の田舎の一戸建てへ引っ越しをして。
年明け頃に来た、定期的に訪れるメンタルブレブレ期の私の嘆き、金欠と返済不安からの生活のキツさをぼやいてしまい、母が9万円の家賃がもったいない気がしてきたとか、家賃3万円援助するから一緒に同居してくれないかと提案してきた。
月の半分も来ないし、部屋も1部屋貸すだけで3万円払ってくれるならかなり助かるとブレブレ期の私はそう思ってしまった。
とりあえず引っ越して最低1年は住まないと賃貸契約の違約金が掛かってしまうので、2022年の夏以降に同居しましょうかという話でまとまっていた。
とはいえ、何度も大げんかや絶縁などを繰り返してきた私たち。
いつまた喧嘩して縁を切るか、明日のことはわからない。
話半分くらいの気持ちで夏頃にまた確定するかどうかは決めましょうと話まとめた。
ところが市役所と私は引っ越し補助金で揉めたので、私がこの町を嫌いになってすぐにでも引っ越したい衝動に駆られているが、こちらも最低1年は住まないと違約金が家賃の1ヶ月かかってしまうので、9月以降にやっぱり引っ越すことにしたから一緒に住むことはできないと母に伝えた。
すると、『なんだよ、クタクタになりながら引越しのための不用品処分と梱包を始めてたのに。』って文句言われた。
え?まだ半年も先の引っ越しの話なのにもう引っ越しの準備してたとか、それらの片付けをしたことが損したかのような物言いをしてきた。
怒らせないようにするために、ご機嫌を取るために、東京での新居探しはUR賃貸あたりじゃないと今の私の経済状況ではもう住めないけど、それでもよければ母の希望も取り入れるよと伝えた。
なんでまた私は母のご機嫌取り、顔色伺いしてるんだろ。
また近くに踏み入りすぎた。
適度な距離感を保っていないと、すぐ揉め事トラブルに巻き込まれるから気をつけて入るつもりではいるのだけど。
最近だいぶ学んできた。
母との付き合い方を。
一時期、言いたいことはこちらもはっきり言う姿勢をできるだけ努力してきたのだけど、向こうが都合よく年老いた。
人生ってほんと理不尽というか、親子って呪われてる。
埋まらない溝。
親が子に対する接し方に、客観性のなさ。
子供をぞんざいに扱ったり、八つ当たりや理不尽な言動、暴力などで支配すれば子供はずっと覚えている。
いつか仕返ししてやりたいとまでは思わなくても、子供が大人になって自立した時に、された仕打ちは“しつけの一環”として染み付いているからやり返すことが可能になる。
あの時はどんな気持ちだったか、どれだけ傷ついたのかを大人になった今伝える。
でも親ってずるい。
自分で勝手に産んでおいて、自分都合に育てておいて、子供にあれだけ無価値な存在を植え付けたくせに、強い立場が逆転した今、同じことをして返そうと言い返すと、年老いて弱った親を虐めているような罪悪感を植え付けられる。
先日も本当は泊まりで東京へ行く予定があったので、実家に泊まらせてもらう予定でいた。
ところが兄のところの娘の次女11歳がコロナに感染してしまい、長女とママは濃厚接触者で三人隔離生活中。
兄だけ難を逃れ、実家に避難生活しているとのことで念には念を入れてリスク回避のため私はラブホ宿泊を選択。
それを母に実家泊をキャンセルすると言ったら、『あなたが泊まりに来るって言うから、2階の部屋腰痛めながら大掃除したのに。』
あんたのせいで身を粉にしてやったのに、無駄にしやがってという言い草に聞こえる。
ここ数年、電話で会話していても自分の言いたいことだけ言ってこちらの話が少しでも長くなると『あんたの話聞いてたら疲れちゃったわ』とか、『疲れたから切るわよ』などとこちらが一方的に負担を強いたり迷惑かけたような言い回しで返してくる。
そのまま受け取ってきた私は悪いことをしたと感じてしまう。
母と会話するたびに罪悪感を植え付けてられてきた。
そのせいで人の顔色ばかり気にしたり、相手のご機嫌を取るような行動が染みついた。
そんなに必要な指摘なのだろうか?
本人にそんなつもりはないのかもしれないけれど、雑に扱われているように感じてしまう言動。
普段できない掃除ができて、綺麗になったからまぁよかったわ〜くらいに思えんのか?
私ならそういう切り替え思考する。
ゴミ屋敷みたいに物に溢れた部屋に住んで、洋服が所狭しとぶら下げられていてクローゼットの中で生活しているみたいな母の寝室。
ちょっと片付いたならラッキーじゃないか。
なんであんたのためにしてやったのにみたいな物言いを毎度毎度してくるんだろ。
『あんたのために』と『あんたのせいで』
いつも私が悪いみたい。
実際に私はそんなに悪いことしているのか?
自分の価値観の中に、掃除を相手のためにしたことが無駄になったというだけで、キレる表現をそのまま相手にぶつけるなんて言葉は私の中に存在しない。
掃除する機会くれてありがとう程度だわ。
これも母同様に、私自身も自分の物差しで正当化しているだけか?
母とコミュニケーションを取ると客観性も冷静さも失うから怖い。
なんで毎度毎度こんなに母のことで苦しまないといけないのだろう。
母という呪い。
母からの見えない呪縛。
最近はいろんな本などから学び、自分の精神衛生を保つために言いたいことははっきり伝える姿勢を取るようにしてきた。
だけど、弱り始めた老人と化してきて、弱いものいじめしているような罪悪感を感じてしまう。
このまま母が死ぬまで一生私は母と立ち向かうことは許されないのか。
子供が親に異論を唱えたり、それは間違っていると訂正させることは一生できないのか?
このまま死ぬまで、本来不要であるはずの自分の存在無価値観に苦しまないといけないのか?
本当に親というのはずるい存在だ。
母親を喜ばせられないお前は無価値だと言われている気がしてならない。
私の中にある無価値観は、親のために何か手伝いなどをしてきた時に喜ばれるという行動から、何もしない自分は無価値な存在、生きている価値なしという思考が出来上がった気がする。
4人兄弟の末っ子で、小学校2年生くらいの頃から炊飯、アイロンがけ、床の雑巾掛などをさせられてきた。
兄姉たちがやっているのを見たことがなかったので、いつもなぜ私だけ?と思っていた。
でもお手伝いをすると母が喜んでくれるから、人が喜ぶ顔を見るのが好きだからやる。
小学校高学年頃になると、私の夢は料理人になることになっていた。
理由は『美味しいと言われて喜んでもらえることがとにかく嬉しいから』
別にその動機に問題はないのだと思うけど、親の顔色を伺い褒めてもらうことで自分の価値を見出していたと考えると、今セックスレッスンをして感謝されることで承認欲求を得ている私はなんか根深い闇を感じる。
なぜなら、他者からのたくさんのありがとうを言ってもらっても、自分の無価値観を埋めることができないから。
自分の価値を満たせるのは自分だけ。
それを教えてくれたのが彼。
突然YouTubeのおすすめに現れて。
毒親育ちの心理カウンセラーさんで、心理学に栄養療法と音楽療法も取り入れているという。
メンタル復活させるために全て私の取り入れてきたジャンルだったからこそ、スッと心に入ってきた。
当事者だから苦しみもわかってくれるし、動画見てコメント欄を見るとあまりに同じような毒親育の境遇の人たちが多くて驚いた。
特に思わず涙がこぼれてきたのがこの動画。
作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有…
繰り返し何度も何度も視聴。
自分を大切にできない自分も、無価値で存在している意味もないと思ってしまう自分も全てここからきているんだとこの動画を通して気づかせてもらって、見るたびに涙出てくる。
いつもいつも母親の悪口と愚痴と毒舌に付き合ってきて、親父と親父の母である祖母をボロカスに言ってきて、必ず会話の最後のオチは『あんたは親父と特に親父の祖母にそっくりなんだから似るなよ』という戒めを言って教育しているつもりでいるのだろうけど、完全に私の存在を否定している言動。
親父と祖母を嫌い嫌い、死ねばいいのに的な発言をしていた人に似ていると言われ続けてきた私。
生きている意味ある?
存在してていいの?
空気吸って、この世でまだ生きてていいの?
無意識に植え付けられてきていたことを、この動画は教えてくれた。
絶縁もしたけど、これも私側だけの絶縁だったようで。
『私がその気になればいつでも私の手下を使ってお前と会うのは容易いことよ。絶縁した気になって泳がしておいてやるわ』くらいの言いようで、ある日絶縁は勝手に強引に解かれた。
それを腑に落ちる言葉で説明してくれたのがこの動画。
作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有…
毒親側にぜひとも聞かせたい動画。
聞かせたところで自覚がなければ気付けないとは思うけども。
橋本翔太さんのチャンネルは、いろんな気づきをくれる動画がたくさん揃ってる。
絶縁も失敗し、母の呪縛からは死ぬまで逃れられない、ならば戦おうと思って言いたいことは言う作戦で怒鳴り合いもしてきた。
少し前に、私姉VS母の3人で健康ランドの玄関先で怒鳴り合い泣きわめきあいの大げんかもした。
でもわかってもらえないというか、相手の気持ちを理解できる思考を持っていないんだよね。
どれだけ2人がかりで説明しても、帰宅後に母は事情を知らない兄に『2人(曼荼羅と姉)に説教してやったわ』って言ってたらしいことを兄に聞いて本気で無駄なんだと痛感した。
そしてコロナ感染と3度目のワクチン接種で急激に弱り始めた毒老婆も、私が戦う姿勢をそのままに会話すると、いまや私が親をいじめているような構図に見えてくる。
何にも報われない。
無価値な自分がさらに親を殺しかねない犯罪者にすら見えてきてしまう。
だからもうやめた。
橋本さんはたくさん苦しんだ先に心理学やら色々勉強されたのようなので、私も彼の発信内容を気づきのきっかけにして、自分を大切にできる自分になりたい。
1つ1つ問題点をクリアにして、いつかは自分大好きとか、自分も生きてていいんだと心の底から思える人間目指したい。
借金して返済することが唯一生きがいになってしまっていることも、結婚できなかったことも、友達ができない人間関係が長続きしない原因も、親から植え付けられた罪悪感や存在無価値感もすべて根底には幼少期から親に植え付けられた無意識による心無い言動や洗脳から始まっているんだと、ようやく気づかせていただいた。
全ての問題は自分自身にあって、性格に問題があるから起こるべくして起こった孤独感なのかと思ってた。
ようやく点と点が1つで繋がった気がする。
全部関係していたんだ。
臭い物に蓋して生きるなんてもう不可能。
いつかは問題に向き合わないと親は死ぬまでのカウントダウンが始まっている。
死んでからじゃ話し合うことも伝えることもできない。
橋本さんの動画を見て、親への伝え方や話し合い方も学べたらいいな。
まずは毒親自覚のない親に橋本さんの動画を見せたところで何にも感じないかもしれないけれど、まずは見せてみたい。
どう感じるのか。
自分を正当化することだけが想像つくけどね。
それもダメなら愚痴も悪口も言わせる隙を与えない作戦。
ひたすら悪口を話し始めたら会話を逸らす。
もう変えることのできない高齢者には話題を逸らす作戦で逃げるしかない。
虐めているような無意味な罪悪感で、これ以上自分で自分を傷つけたくない。
悪者になりたくない。
風俗嬢になったのも自分を大切にしたいと思わないから、なるべくしてなったような気もする。
それでもただの風俗嬢ではなく、少しでも自分の存在意義を見出したくてセックスレッスンをするという形で、自分を正当化し人の役に立っているとか、社会を裏から支えていると言ってもらうことで自分の存在価値を満たしてきた。
私って自分なりに頑張って生きているじゃないか。
自分で言って笑ってしまうけど、なんて健気なんだよ。
もがいて苦しんで、たくさん失敗もして、それでもどんな状況下でも無意識に自分を大切にしたい方向を模索して生きている。
借金も返済も、恋人から受ける暴力も、体弱くて繰り返す病気も、風俗嬢として生きるのも、友達が全然できないとか孤独に苦しむ生活とか、きっと自分に何か原因があるのだろうなとまでは気付けても、どこに原因があるのかまでは気がつけていなかった。
でもようやく橋本さんのお陰で、全ての問題の根底には親子関係問題に紐づく、そんな気がしてきた。
まだ膨大な量の動画で全部見きれていないし、本も買って読んでみたいとも思う。
栄養療法は去年からちょうど取り入れ始めていたし、音楽療法はprimeミュージックで、自律神経を整えるための音楽とか集中力を高める音楽を聴くくらいしか知らないけど、効果は実感している。
彼の動画には、私の毒親の苦しみから解放されるためのヒントがたくさんありそうで、それを足がかりに心を軽くできる日がいつかくるといいな。
そして人から感謝の言葉をたくさんもらってももらっても満たされない承認欲求からいつか解放されたい。
自分を犠牲にしてでも誰かのためになりたいとか、感謝されない余計な正義感や、損な役回りの引き受けとかももうやめたい。
この動画も舐められ続けてきた私の深層心理にしっくりきた。
作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有…
心療内科のカウンセリングやスピリチュアル系とか色々救いを求めたけど、誰からももらえなかった答えが橋本さんの動画の中にたくさん溢れてる。
腑に落ちまくる動画だらけで、なんか見るだけで救われてる。
こちらの動画もそう。
いつも存在価値を得るために頼られたい願望から、自ら頼ってねと宣伝しまくって、いざ頼ってもらうとそれが当たり前になってきていつの間にか舐められて、顎で使われるような存在なって利用されるの繰り返しだった。
そうなるのも何か自分がそうけしかけてしまっている言動があるのだろうなとは思っていたが、根本な部分までは気付けていなかった。
作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有…
『私のことをわかって』か。
なんかしっくり来る気がする。
転職回数31回以上になった理由もここにあるのかも。
私の中には常に無意識な被害者意識が強い傾向があるのかもと思う。
母の口癖にも“私はこんなにみんなのために頑張っているの”アピールの多さにも嫌気が差していたのだけど、いつの間にか飲み込まれていたのかもしれない。
腑に落ち動画多すぎて逆に笑っちゃう。
そんな私はやっぱり無価値で人間失格?そんなことないってって言葉を期待してる自分もいるのかも。
いい加減、誰かの物差しで図られる人生やめよう。
人からありがとうと言われなくても、自分って存在してていいんだって自然と思える日が来ることを願いたい。
YouTubeのおすすめってすごいな。
私の痛いところにも痒いところにも手が届く。
YouTubeのお陰で学びをくれた橋本翔太さんと友利新先生と勝間和代さんの動画を知ることができただけでも財産。
他にもいるけど特にこの3名は、私の人生に影響を与えていただいた。
いつか橋本さんに直接カウンセリングをお願いできたらいいなぁなんて思ってみたりして。
何度も繰り返し動画を見て、毒親との向き合い方も学び、無価値な自分を解放してあげたい。
セックスレッスンに来られるお客さまの中に、私のブログを読んで毒親の苦しさに共感したから来ましたと、毒親繋がりの方もいらっしゃる。
私は心理学のプロな訳でもなんでもないから、得意そうなことは言えないけれど、セックスの悩みを抱えているお客さんのお話を聞いていると、根底にいじめだったり幼少期の体験や根底に家族の問題を抱えていると感じる人も少なくない。
臭いものに蓋をしたまま生きることもできなくはないけれど、セックス上達したいとか、パートナーが欲しいと思ったり、人間関係で同じことを繰り返したくなければ、やっぱりいつかは自分の心と問題に向き合わなければ解決しない。
親子関係の問題点を指摘した途端に泣き出してしまったお客さんもいた。
でもそこに向き合わないと先に進めないと感じたから私は触れた。
お客さんを刺激しつつ、私も一緒に学ぶ。
共に一緒に成長しあえる関係でいたい。
ただの自信のなさなのか、根底にある問題が原因なのか。
向き合わないと何も変わらない。
傷口に塩を塗るような行為だから、本当なら誰も触れたくない。
たかがセックス、されどセックス。
裸だからこそ、人の心も裸になる。
真剣に生きてきて、真面目な人ほど苦しむのかなって。
橋本さんの動画から、私なりに向き合えるセックスレッスンにも活かして行けたらいいなって思う。
風俗業界に入って感じたのは、あまりに親子関係に問題を抱えている人の多さに驚く。
そんな方々にもぜひ見てみて欲しいなって思う。
疎遠、絶縁、物理的距離を置いてて問題ない人には必要ないかもしれないけれど、私のように“血の結びつきの呪縛”に苦しんでいる人には何か得られるものがあるかもしれない。
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