怒涛の1ヶ月間だった。
今朝自宅に帰ってきて、一人で食事を行い、会話する相手がいないいつもの静かな鳥かご生活にまた戻ったことで一気に現実に戻った感。
誰かに“おはよう” “お疲れ様です” “美味しいね” “おやすみ、また明日ね”ってありふれた会話ができることの幸せを1ヶ月楽しめた。
途中、咳喘息発作で具合が悪くなった1週間はあまり記憶にないけど。
体調を崩したあたりから、子宮の出血も毎日あって。
子宮頸がん手術してから約2ヶ月半、なぜか帰国日が1番出血、下腹部痛まででてしまった。
咳しまくりだったし、施術用ベッドも高さがあり、約25キロのスーツケースの移動も、どうしても全て下腹部に力を入れるから。
体が悲鳴を上げているのはわかっていた。
それでもたった1ヶ月ですら、やると決めたことを達成できない自分が嫌で死に物狂いだった。
しかも学校という私の1番苦手場所。
地獄のように長く感じるかと思っていたけれど、予想外にあっという間の4週間ではあった。
面白くて優しい校長先生ご夫婦をはじめ、明るく楽しい先生方、自立心と行動力のある様々な国の人たちが集まるからこそ個性があり刺激があり面白味があった。
人疲れしないとは言わない。
久々にたくさんの人に触れ、会話し、毎日たくさんの人と食卓を囲う。
そんな中、校長先生に最終日のBBQの時、後ろから『野菜も食べないと健康になれないよ』って突然言われて驚いた。
生徒大勢いるのに、見ていないようでよく全体を見ているなぁ。
その時、豚肉と春雨と卵豆腐しか食べていなかった私は、図星すぎて笑うしかなかった。
呼吸が苦しく、咳き込み、声も出なくなっている中、夜授業も行なってくださった先生。
家族でもない人に、心配してそんな言葉を他人から言われることなんてないから、なんだか一気にこの学校が家族のような錯覚に陥り、胸熱く感動してしまった。
自分も喘息経験があると言っていたし、今は薬には頼らず免疫力で治すようになったとか言っていたし、体調を壊す生徒をたくさん見てきたからなんだろうな。
校長先生夫婦の人柄が良いからこの学校全体が素敵なんだろうな。
今回私が滞在中、野菜をあまり採らずインスタントラーメンなんかを食べていた私ともう一人の日本人女性が体調崩し病院行きになった。
ビーガンの生徒も数名いて、日本は食に対する意識が遅れていると先生は言っていた。
華奢な女性でも山盛りの生野菜を食べ、毎朝庭で採ったレモングラスなどを釜で煮出したお茶がフリーで置いてあるのだけど、ハーブティーをたくさん飲んでいるような方は全然元気そうで。
朝食と昼食はほぼ全員同じメニューで生活していたから、栄養のバランスって本当に大事なんだなと心底思った。
食べることは好きだけど、1回1回の食事で何を食べるかを意識しながら生きるのって大変そう。
それだけ日本は手っ取り早くささっと一人で安く食事を済ませることが簡単な国なんだよな。
お腹空いたら無意識にコンビニや牛丼屋とか富士そばとか行っちゃうもんな。
ビーガンの人たちの食事方法とか見ていたら、焼いたり蒸した根野菜とか、スライスした生野菜、ご飯にめんつゆかけて食べていた。
変に調味料かけすぎないで、実にシンプル。
かといって、いきなり苦手な野菜を毎日食べれるかっていうと難しいんだけどな。
でも今回は痩せるためにとかではなく、本当に健康のために食生活を改めないといけないなと痛感した。
大人になってからの共同生活って、自分の不摂生さが露呈するからなかなか不摂生がやめられない人は1度シェアハウスとかで他人の食生活見てみると面白いかもな。
それにしても約5年、引きこもり生活をしていた私にはかなりエネルギーのいる生活ではあった。
でも寂しさとは無縁とも言える1ヶ月。
こちらのプライベートゾーンをいきなり土足で踏み込んでくる人もいたけれど、無条件に寂しさが押し寄せてくるあの孤独感を感じることはなく、ブログで散々ぶちまけたけど、終えてみるとたった1ヶ月くらい我慢してやれよ私って感じだな。
本当に精神的に幼くて、心が狭い私だなってつくづく思う。
それでも譲れない部分は譲れない。
グイグイ踏み込んでくる人は無理だ。
話しかけまくってくる人って、面倒見がいいのとか、気遣いがあるのとはちょっと違うと思うんだよな。
存在がうるさい女を見ていて改めて思った。
人ぞれぞれ優しさの形って違う。
優しさにも正しいや間違いはなくて、人それぞれ捉え方が違うだけ。
“優しい”のタイプ違い。
私の考える優しさは、無条件に計算などもなく、困っている人を見たらそっと手を貸せるとか、人を思いやれることだと思っている。
例えば一人参加の人などに、寂しく無いよう孤立しないよう気を使ってたくさんの人に声をかけて、みんなで買い物に行く、料理をする、観光に行く。
これって一見、リーダーシップ性もあって優しい気遣いの人にも思える。
でも一歩間違えるとただの利己主義というか、自分の寂しさを他人で埋めようとしているだけの人のように思う。
幹事として大勢の中に身を置くことで、自分が必要とされている錯覚で承認欲求を満たす。
人に親切にしたり声をかける優しさに見せかけて、自分のメリットが最優先。
一人になりたくない、交通費が安く済む、大勢参加すればディスカウントがきく。
アホみたいに一日中ずーっと写真ばっかり撮ってはみんなにLINEで写真送るから教えてって言って。
コスプレイヤーの職業病なのか?
彼女はまさにこういうタイプの人だったように私は感じてしまった。
真相は本人にしかわからない話だけど。
他にも色々理由はあったけど、結局だから無理だったんだ。
無理な人のタイプって初対面時でだいたい当たる。
あ、この人無理って。
20代の頃のように、誰でもウエルカムに付き合えるってタイプでもなくなった。
気がつくと、今私が大切にしたいと思える素敵な方々はくだらないプライドもなく、無条件に優しさを持っている・・・そんな方ばかりだなと改めて思う。
ブログを通してもそうだし、実生活でもそう。
押し付けがましい人もいなければ、自然と困っている人を助けられる思いやりに溢れた人ばかり。
人間の好き嫌いは良く無いと思っていても、やっぱり付き合いたい人間は選びたい。
じゃないと自分が壊れてしまうから。
これを保っているからこそ、感謝と幸せを毎日実感できている。
だから絶対に無理しない。
私と同じゲストハウスからの通い組で、一緒に泣いてくれた彼女も本当に素敵な人だった。
彼女も学校で無理と思う人とペアを組まなくてはいけなくなった時にまた涙を流していた。
でも一緒に涙を流すことなんて、私にはそんな共感力そこまでない。
優しくて思いやりがあって、人に合わせることもできる明るい彼女は本当に素敵な女性だった。
食事、会話、人間、考え方など様々なことを共有できたことで、たった1ヶ月なのにすごく深い感情を共有できた気がした。
ブログで本音を介さなくても、対人関係でもまだ話せることってあるんだな。
帰国してからもまた会いたい、そう思わせてくれた本当に素敵な女性。
バッグの好みも同じで、彼女が日本から持ってきていたバッグは私も持っていて、マーケットで買ったバッグも2つお揃いになるほど。
美容学校を挫折した経験まで同じ。
苦手な人間もはっきりしてて、広く浅い人付き合いができなくて、友達少数派。
しかも私の家から彼女の家まで乗り換えなしで電車で一本。
留学時期も1週間違い。
2度目の海外で留学するのも私と同じで、自立心の強さ、行動力もあり。
会話の受け取る感じ方も似ていてキャッチボールが楽しい。
かといって、学校内では授業も食事も別々にとり、べったりするわけでもないから疲れない。
私にとって、これが1番大事かも。
たまたま近くにいる人と自然と会話できるってナチュラルでいいと思うんだよな。
いつも同じメンバーといないと不安っていう仲間といると息が詰まるから。
共通点がここまで多いとなんだか運命まで感じてしまう。
苦手なタイプの人間は違ったけど。
彼女は何を話しても表情がかわらない笑わない人が苦手と言っていた。
私はそういうタイプの人間の緊張をほぐし、和ませ笑わせたいと思う派。
根っからのサービス業、職業病かもな。
人生のターニングポイントで出会った人って、自分の人生に何かしら影響を与えるとかなんとかっていうけど、この先も何か縁があったら嬉しい人だなと思えた。
私がいくらそう思っても、向こうがまた会いたいって思ってもらえる人にならないといけないけど。
おばさんになると友人なんてほぼできないけど、他にも素敵なご縁がたくさんあって、心の底からこの学校に来てよかったと思う。
この学校を教えてくれたスリランカで出会った日本人女性と4年越しの再会を果たせたことも、このブログを通し夢を叶えさせてくださったお客さん方にも感謝。
4週間のうち、3週間という1番長く一緒に授業を受けたアルゼンチン人のヨガファイヤマンも、最後に意気投合できた。
彼と最初の相モデルだったミャンマー人の男性のお陰で、苦手だった男性セラピストのオイルマッサージを克服できた気もする。
彼らは紳士だったけど、帰国して日本人男性になるとわからんな。
自分の卒業式の後、夜はみんなでバーベキューを行なったのだけど、その時に彼と今後の仕事のことについて話した。
フリーランスでライフコーチという人生のアドバイザーの仕事をしている彼。
前職は音楽プロデューサーだったらしい。
一見その流れ、日本では胡散臭く聞こえるけど、本当に紳士で素敵な男性だったと思う。
病気や人間、仕事など様々な問題にたくさん出くわし、人生を楽しむ今の生活スタイルになったのだとか。
育った環境や国も言葉も人種も違うけど、彼も釈迦を愛し、仏教思想を大切に考える私と似ている偶然。
いずれ本を出したいとも語っていた。
彼の言葉に素敵なものがあった。
“貧しい人は、夢が実現していない人ではなく、夢を見ない人である”
この言葉、すごく好きだ。
失敗してもいいから、常に自分のやりたいことや幸せのために頑張る人生が好き。
初めは仏教の話から、人間関係に疲れ、病気ばかりの人生、セックスレッスンを行い、ブログを書く私と少し共通するところを感じた。
そして同じオイルマッサージのクラスで出会った。
オイルマッサージのクラスは本当に少ない。
このクラス、入校時は私一人しかいなかった。
そして1週間後に彼が入校し、2人になった。
帰国後の話で、日本でフリーランスのマッサージを開業すると言ったら、彼はタイの次はチリ?(多分)に行って、その後日本に会いに行くと約束してくれた。
オリンピックに向けてこれからますます外国人が増えるから、それも面白いかもという話をしたら、日本で出張マッサーージに興味があると言ってきた。
うーん、ビザの関係とかどうしたらいいものか。
でももし私を頼ってきてくれるのなら何かお手伝いできたら嬉しいし、面白そうとは思う。
外国人男性の出張マッサージとか、外国人好きの女性にはたまらないかもな。
最後の1週間だけ同じクラスだったフランス人の男性も、来年会いに行くと言ってくれた。
一緒に通学して一緒に泣いてくれた彼女の仕事先が飲食店だから、彼らがもし日本に来たら一緒に食べに行きたいな。
数打ち当てる、たくさんの出会いはもういらない。
密度濃く、1つ1つの出会いを大切にしていれば言葉の壁があっても共感できる人と出会えるということがよくわかった。
無理しない。
肩の力を抜いて、フィーリングが合う人とだけ付き合う。
あるおばさんにも言われた。
いろんな意味でも人は絶対に一人じゃ生きられない。
無人島で一人で生きることも無理だと。
人間は良くも悪くも比較対象物が必要なのだと。
誰かがいるから辛いも幸せも、喜怒哀楽すべて感じることができる。
おばさんになって大勢の共同生活は大変だけど、嫌な人も含め、たまにはこうやって人に揉まれて生きることができるのはやっぱり幸せなこと。
期間が限定してて、終わり日が見えているからこそ言えることだけどさ。
また必ず行きたい。
短期で、格安で、暮らしながら同時に2つのことを学べる。
最高の経験ができた。
心配したり応援してくださったお客さん、いつもお世話になっているライターさん、それと母にも感謝します。
この学びを無駄にせず、今後の人生に活かせるよう頑張ります。
どうもありがとうございました。
番外編の備忘録は旅ブログにちょこちょこ書いておこうと思うので、興味をもっていただけたらそちらもぜひ。
さぁてと、明日から日常が待っている。
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