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信じるも信じないも自分次第

認知症で要介護の大山のぶ代さん。

その旦那さんの砂川啓介さん死去のニュースで思い出した私の祖父の話。

その業界では最古の大手企業で、創立メンバーの一人だった祖父。

技術者としてたくさんの特許を取り、戦後の日本から昭和の時代をひたすら仕事に打ち込んだ祖父。

働き者で面倒見が良かった祖父は、戦後もシベリアに抑留され、まともな食料もない中、身体弱って働けない人に食料を分け、ネズミを食べ、水溜りのような泥水を吸い生き延びたという話を母から聞いたことがある。

コツコツと働きかなりの給料を貰い、無欲な祖父は封筒も開けずにそのまま毎月祖母に給料を渡していた。

そして自分の母親(私の曽祖母)にも家を買ってプレゼント。

自分の娘(私の母)が家を買う時も半分出したとか。

私が専門学校に行けたのも祖父のおかげ。

1年で214万という学費、どう工面しようか私の母が悩んでいた時に、スーパーの半透明の袋に100万円を「はい、これ使いな」と突然持ってきた祖父。

見返りも求めずに、人に何かをしてあげるのが好きな人だった。

裕福な家庭となり、祖母は毎日出前と酒とタバコの堕落した怠けた生活に溺れ、50代半ばで脳溢血で右半身不随の体になった。

家庭を顧みずひたすら仕事に打ち込み働いた祖父は、自分にも責任を感じてしまったのか退職後祖母の全てを一人で面倒みた。

介護の経験なんて一切ない人間が、身体の半分が麻痺してリハビリでなんとか杖で歩けるようにはなったものの一人で何かをするには無理な祖母。

お風呂も祖父が入れ、食事も作り、髪も祖父が切ってあげていた。

小さい頃、私の両親の仕事が忙しくて面倒見れない時には、しょっ中私と姉は祖父母の家に預けられていたので、介護をしているその姿を今でも覚えている。

そして私の母の妹も目が徐々に見えなくなり視覚障害者となり、アルコール依存症で入退院を繰り返し、いつしか祖父が通院の面倒を見て、母の妹の子供たち2人(私のいとこ)も祖父が面倒を見ていた。

複雑な家庭で育った私のいとこ2人も、いつしかストレスのせいでか頭の毛がほとんどなくなってしまった。

それも二人して。

円形脱毛症レベルではない、カツラが手放せない頭髪。

そんなんで定年退職後も毎日、祖父はみんなに頼られ、祖母、娘、孫の面倒と通院の送迎に忙しい生活を送っていた。

人の面倒を見るために生まれてきたのかというほど、文句ひとつ言わずに黙々と。

人の面倒を見る生活を送り、半身不随の祖母の介護を始めて20年弱、病院の先生にもまだ生きてるんですかなんて冗談で驚かれるほどヘルパーなど一切頼らずに生活していた。

みんなの面倒をみながら、合間には車で日本全国旅をしながら。

半身不随の祖母を連れて、時には四国の八十八ヶ所の巡礼の旅を車で行ったりしたそう。

80歳も目前の頃に、徐々に頻尿が酷くなった祖父。

でも祖母の介護に娘や孫たちの通院や面倒を見ていたから、自分の健康管理は後回し。

常に空のペットボトルを持ち歩き、その中に排尿をしていたそう。

そして病院で検査に行った時には遅かった。

末期の膀胱癌。

文句ひとつ言わずに面倒を見てくれる祖父にみんなが頼りきりすぎていた。

それからは入退院を繰り返し、介護施設にも入ったり、その合間にみんなでできることをと、祖父母を連れて温泉旅行に行ったり最後まで祖父のしたいことや行きたいとこ、食べたいものを叶えてあげた。

欲の薄い人間は死の間際でも控えめだった。

行きたいとこやりたいことといえば、神社やお寺、お墓まいりなどの参拝。

食べたいものといえば、カレーうどんとキャラメルだった。

骨と皮だけのやせ細った体で、お尻に肉がないから座っているのも辛いのに、文句や愚痴を一切言わない。

手術後も顔をしわくちゃに渋い顔をしていても痛いと1度も言わない、とにかく我慢強い人だった。

寝たきりで反応も薄くなってきた頃、上白糖をそのまま舐めていたくらい極度の甘党だった祖父は糖尿病も患っていたので本当は甘いものもダメだけれど、余命も僅かだったので、お見舞いのたびに帰り際母がそっと祖父の口の中にキャラメルを1つ入れてあげてそれで帰宅するのが恒例になっていた。

ある日私と両親でお見舞いに行き、母がいつものように帰り際にキャラメルを口の中に入れてあげると、祖父がいきなり母の名前を声を振り絞り発すると手を握り「ありがとう」と言った。

その日の夜遅くに祖父は亡くなった。

祖父に面倒を見てもらっていた側の人間が残されてしまった。

祖父が亡くなった後、祖母は老人ホームに入り元気を取り戻したが、やはり脳溢血で半身不随の人間。

数年後に死期が近いと悟り始めた頃、一人じゃ生きられず周りに迷惑をかけるからと視覚障害のあるアルコール依存症の娘(私の母の妹)をこれ以上孫や周りの人たちに面倒を見させるのはかわいそうだ、私が甘やかして育ててしまった責任があるから一緒に連れて行くわと言っていた。

祖母が亡くなり、1年もしないうちに本当に娘も連れて行ってしまった。

そして祖父が亡くなって数年後、私は子宮筋腫を患った。

20歳くらいの頃に腎臓の手術も2度していたので、慣れっこというか不安も特にないし、親にめんどくさそうな顔をされたくなかったので、大げさにもしたくないし家族に面倒もかけたくなかったので入退院の手続きも難なく一人でこなした。

手術は無事終了。

病室に戻され、その日は痛み止めやら麻酔やらでほぼ眠っていた。

その時私は夢を見ていた。

目が覚めてもはっきり覚えていた不思議な夢。

登場人物は祖父だった。

身体はカブトムシのようなゴキブリのような足がたくさんある黒い虫で、はっきりと顔だけは祖父だった。

私は何度も「じーちゃん!じーちゃん!」と叫んだ。

でもじーちゃんは何も言わずに振り返りもせず、そのまま空まで登って行ってしまった。

目が覚めた時に、穏やかな気持ちとなんとも言えない感謝の気持ちで溢れていた。

そして“守ってくれていた”と感じた。

たかが夢だろ、たまたまだろうと信じない人もいるかもしれない。

他の臓器に癒着しかけていて6時間近くもかかった手術、祖父が守ってくれたのだと今でも信じている。

本当にすごい人だった。

自分の母親、妻、娘、孫とたくさんの人の面倒を見た人生。

文句ひとつ言わずに、たくさんの人の面倒を見て、自分のことは後回し。

なかなかできることじゃない。

介護をしていた側の人間が先に亡くなってしまったニュースで思い出した話。

祖父を思い出してこの記事を書いて、また感謝の気持ちから涙が溢れてきてしまった。

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