ようやく少しひと段落。
7月8月と有り難いくらいにお仕事も忙しく、その合間に両親の部屋探しに付き合って、その合間に気分転換の盆踊り。
私の普段の息抜きといえば、温泉サウナか月1回のコストコ程度。
筋トレとピラティスのお陰で、動く習慣が多少増えたので気虚と気滞の改善にもなっている。
お陰でストレス耐性もかなりついたと実感。
都合よく言い逃れるために、病気の原因をすぐストレスだの遺伝だののせいにする母。
そんなこと言ったら世界中みんな同じ病気だらけじゃないか。
ストレス耐性のなくなるような、だらしない生活習慣をしていたらそりゃ病気になるってもんだよ。
正解は、ストレスに強い体づくりをしていないことが原因。
生活習慣のだらしなかった私が、この1年半で相当努力して変われたのだから間違いない。
風邪を引いたらそのまま咳喘息までがセットで全治3週間は当たり前だったのが、去年は全治3日で治るようになって、今年は喉痛になっても風邪になる前に1日で治るまでに免疫力もついた。
心身の健康を取り戻すのに、何歳からでも遅くないと気づくことができた。
毒親に鍛えられたお陰で、ちょっとやそっとじゃキレなくなった鋼のメンタルもゲットだぜ。
父75歳と母80歳に貸してくれる、または希望に合った部屋が見つからないとのことで、私の名義で部屋を借りてくれないかと言ってきた。
2人とも利己主義の毒親だから、親への期待も執着も手放し割り切ったので、入居の申し込みができるのならどうぞ私の名義をお使いくださいと承諾。
お陰で内見に付き合わされる羽目になり、13時からの仕事が入っていても午前10時の内見予約など合間を見つけて1時間でバイクで飛んで行って帰ってくるような生活をして、今までにないプチ忙しさを味わった。
運動習慣と食事改善のお陰で体力が付いてきてて本当に良かった。
内見時のスタッフさんの前では気に入ったわ、この部屋といい、その場で私に10分くらいかかる契約の申込書類を書いたのに、帰宅してからやっぱり気に入らないからキャンセルしてと言って来たときは、さすがに自分で直接言えと冷静にキレた。
それでもあれ嫌、これ嫌と。
妥協できずのわがまま放題。
家賃20万円くらいのものまで見ている始末。
不動産屋さんに私の年収では審査が無理ではと言われたり。
賃貸暮らしをほとんど経験していないから、世の中の相場をわかっていなくて苦労した。
それでも本人たちが自分で気が付かないと、周りがいくら言ってもわからないし、条件下げろと押し切ったところで、後々人のせいにされてはたまったものじゃないから黙って内見について行くしかない。
実家の解体作業が始まるタイムリミットは9月4日。
8月中には出て行かないとまずい。
7月下旬、そろそろ物件を見つけないとお盆が大型連休だし、引っ越し屋さんの確保が難しくなる。
昔、母方の曾祖母の実家を売却したり、約44年住んだ実家を購入した時にお世話になった不動産屋さんを思い出した母が急いでそこへ連絡。
すると入居者がいるのでまだ内見はできないが、ちょうど8月1週目に退去する一戸建ての賃貸物件が家賃13万円であるとのこと。
知り合いの不動産屋なら2人で見て来なさいよと母に言ったのだが、着いて来てほしいとごねる。
あぁ、愚痴と悪口ばかりいっているこの母親は、心底自分に自信がない小心者なんだなと痛感した。
常に人のせいにしていれば、自分は正しいと正論言えるし、批判していれば自分は人格者だと錯覚することもできる。
わざと両親の目の前で、実家のお仏壇に手を合わせて『今日こそ良い物件に巡り会えますように』とお願いしてから、すぐさま15年以上ぶりにその不動産屋さんへ3人でご挨拶。
外観しか見ることができなかったが、後がないのでゴリ押しで即決させた。
山手線の内側で、3DKの一戸建て賃貸が13万円だなんて、そう見つかるものじゃない。
しかも私名義ではなく、昔からお世話になっている知り合いだから、審査もなしで父の名義で申し込むことができて一安心。
帰りにおめでとうを込めて鰻の弁当をテイクアウトしご馳走、お仏壇でご先祖様に感謝の手を合わせて帰宅。
我ながら出来た娘だと思うのだが、ご馳走様も言えない親父の育ちの悪さ。
もう今更なので何も言わないし感じない。
これで解放されると思いきや、44年分の物屋敷と化したゴミ捨ての山。
『誰も手伝ってくれない』と被害者のような物言いを続ける毒母。
間違いなく、発達障害に合わせて自己愛性パーソナリティ障害の併発。
心底救えない心の病気だわと感じる。
ふざけるなと喉まで出かかりそうになるがグッと我慢。
子供たちの引っ越し時に、母は手伝ってくれたことが1度でもあるのか?とブチ切れそう。
キレたら負けだ。
重たいゴミ出しだけは手伝いつつも、母親の衣類荷物がほとんどの実家なのだから、自分のケツくらい自分で拭けと思えば罪悪感も感じずに知らん顔ができる。
5月の実家の45周年パーティーの手伝いに、SIBOとIBSで破裂しそうな腹部を治し、名義貸しを承諾したり、内見に付き合い、ゴミ捨ての面倒を見たり、1泊2日で母の野暮用事に付き合いげっそりウンザリ。
今の健康を手に入れる前は、母と一緒にいて耐えられるのは12時間が限界だった。
12時間一緒にいると精気を吸い取られて翌日寝込むほどだった。
今回は丸2日どうにか耐えた。
コストコで牛乳を買おうとしていたので、どんどん身長は縮んでいるし、肋骨骨折したばかりだし、股関節だって手術して毎年大腸ポリープのオンパレード。
これ以上骨をボロボロにしたくなかったら飲むな!!買うな!!と言ったら反発してきて一瞬喧嘩になりかけたけど、グッと堪えて諦めた。
丸2日間、運転手として荷物持ちとして野暮用に付き合い、その間ずっと他人の愚痴と悪口とお金の話とため息ばかり。
運転中、ちょっと静かに黙っていてよと言っても5分と黙っていられない。
発達障害特有の脳内思考の声が全部ダダ漏れ。
交差点の右折車線で曲がるところというタイミングで、『ほらあれ見て!』と急に後ろを指さしていたりするから、今見れるわけないだろ!!というタイミングでも悪びれる様子もなく、本当に幼児か病的かレベルで呆れる。
めったにため息なんかつかない私ですら、最後はつられてため息出るレベル。
頭の中に毒母が侵入してきているかのようで、頭がうるさくて痛かった。
あまりにも耐えられなくて、途中で車のBGMにお経を流した。
家についてからも頭の中にこびりついた母親の声と愚痴悪口をかき消すかのように、脳疲労回復系のBGM音楽をひたすら聴いて10時間も寝たらどうにか回復。
生活習慣を鍛えて整えているから、多少の毒ストレスなら1日で回復できるまでに耐性付いた。
お陰で44年生きてきて、1番母親にありがとうを言わせた1年だと思う。
4人兄姉の末っ子なのに。
兄は十分動いている。
嫁に行った姉2人を飛ばして頼られ。
失敗作と言った末娘にありがとうと居てくれて本当に感謝だわと感じる気分はどうだい?と若干ほくそ笑む私。
母親はそんなこと言った記憶すら覚えがないと思うけど、私はそれだけで気持ちの整理がついた。
十分親孝行したと感じているので、思い残すことはない。
心から感謝しているような態度はあまり感じないけれど、ありがとうすら言えない人間ではないのがせめてものの救い。
感謝も言えないのに暴言ばかり吐いていたら、父か私が10年前にとっくに締め殺してるわな。
こんな親のせいで刑務所に入ることすら無駄だから、間違いを犯さずに家を出て本当に良かった。
今、仕事でたくさんの感謝の言葉をいただくことができて、人の役に立つことで生きていて良かったと。
心底満たされている。
愚痴と悪口ばかり言っていると、いつの間にか飲み込まれ、必ず特大のブーメランが自分に刺さるってもんよ。
他人を否定や批判している暇があるなら、己の弱さと向き合って精進しないとな。
まさに、人の振り見て我が振り直せ。
親の悪い遺伝子につられないように。
同じ轍は踏みたくない。
人は人、自分は自分。
毒親を反面教師に、日々楽しく感謝で生きて行く。
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