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福井県の仏教哲学と禅の旅

この1年半、大好きな旅行も我慢してパーソナルトレーニング&ダイエットを最優先に自己投資をしてきたので、セックスレッスンのご依頼ついでとはいえ、ちょうど自分の誕生日頃に遠征ついでの延泊観光が叶ったことがとってもとっても嬉しくて。

いつもは東京でご依頼だったけれど、4回目のレッスンでは福井まで呼んでいただいたお客様に大大大感謝。

47都道府県中、残る未観光の県が福井県、滋賀県、鳥取県、山口県、鹿児島県で、これで残る自分的未踏県は4県になった。

それも近々鹿児島県へ初上陸予定なので、残るは滋賀県と鳥取県と山口県の3県のみになる!!

滋賀県は延暦寺の平成の大改修が終わったら絶対に行く!と決めているから良しとして。

鳥取県と山口県は東京から行きにくくて、しかも観光としてもどうしても優先順位が後回しになりがち。

今後も出稼ぎなど出張を組まない限り、鳥取&山口の出身の人もそう出会わないから仕事で呼ばれそうにもなく、行けそうな予定も見当たらない。

ぼやっと生きてたら47都道府県制覇は一生コンプリート難しくなるから、自分で行く機会は作らねばな。

今回福井県に呼んでいただいたお客さまのお陰で、長年ずっと行きたかった永平寺に拝観叶うことができました。

曼荼羅家のお墓は曹洞宗。

ググると、日本で一番厳しい修行の場として有名らしい曹洞宗の大本山永平寺と雲水(修行僧のこと)さんをこの目で見ることができてもう感無量。

曹洞宗の教えは、自力による修行と悟りを重視し、座禅を基本としているそうで。

この約10年、病みと苦しみからの救いを求めて仏教思想に始まりスピリチュアル、心理学、哲学、分子栄養学、運動などなど。

最後の1年は、東洋医学と神道と仏教哲学でようやくコンプリート?!覚醒?

少し悟りを得ることができたのと、悟りがどういうものかが理解できた気がする。

まだまだうわずみの知識量と半悟り程度。

自己満足の域を越えれてはいない。

道半ばのそれでもあらゆるものへの執着を手放したことで、こんなに心がラクになり全身から幸せが満ち溢れるのかと。

様々な執着を手放すと、無自覚な執着に苦しんでいる他人様がよく見えること。

XなどのSNSで病んで発信しているほとんどが執着。

正義と執着を履き違えてしまっている人も散見する。

私も執着の塊だったから分かる。

毒親との共依存にあれほど苦しんだけれど、アル中依存症の親父が70歳過ぎたじーさんの友達のライブを観に行きたいから送迎しろと言われても悲しみも嘆くこともなく、ただ淡々と粛々と泥酔した親父を車で迎えに行ったりしても何も感じることは無くなった。

この人は酒に飲まれたまま自分のことだけ考えて死んでいくんだなと思うだけでなんとも思わなくなった。

母との距離感も毒を吐かれても、私はほとんど受け取らないでいられるまでになった。

そう、全ては『どうでもいいこと』であると。

冷たくすることが『どうでもいいこと』ではない。

他人は他人、自分は自分であるというだけのこと。

嫉妬もアンチも毒親も婚活もコンプレックスも全て何かに『執着』するから苦しい。

私も時折、心乱れそうになった時は、この動画を繰り返し聴いている。

自分の44年分の過去と、このブログで10年とことん己と向き合ってきたから、やっと”自力の悟り”の一歩を踏み出せるところまでこれた。

だからそんなタイミングで福井県へ呼ばれたことがとても嬉しくて全身全霊で感激している。

この大きな修行寺を拝観し、途中で道に迷い案内していただいた雲水さんの修行中を痛感する顔色。

次は修行体験で泊まりに来ると心に誓った。

出口付近に貼られていた仏教哲学とも言えるメッセージもどれも美しかった。

 

 

曹洞宗の坐禅は外界からの干渉を避け、内なる世界に集中するため『面壁坐禅』による『只管打坐(しかんたざ)』とのこと。

貴重な30代を病弱のせいで孤独と寂しさに苦しんだからこそ、ようやく抜け出せた自分にとってこの姿の写真は涙が溢れてきた。

あの頃は生きる意味も本当の幸せの意味も分からなくて、目の前の壁に向かってひたすら救いを求めてしまっていた感じ。

写真の中の姿と自分が重なった。

 

 

日光東照宮や和歌山の高野山の苔も素晴らしかったけど、永平寺の青々とした苔も美しい世界だった。

 

 

今回参拝に寄った「苔宮」とも呼ばれている平泉寺白山神社の苔の絨毯が有名とのことだったけれど、永平寺の苔の青さも素晴らしく目にも優しく癒された。

 

 

 

福井県立恐竜博物館も広くて迷子になりかけるし、どこを見ても骨骨骨の情報量莫大で、目と頭がめちゃくちゃ疲れた。

 

 

解剖学に興味を持ってから、ずっと骨格標本が欲しくて。

でも15万円とかめちゃくちゃ高額なので手も足も出ず。

ちょうど人間も展示されていたのでめっちゃラッキー!と言わんばかりに写真撮りまくった。

恐竜の骨よりも、ここの前でじっくり観察した時間がダントツで長かったかもしれない。

 

 

可愛い動きをしている子もいたので貼っておこう。

 

 

朝から夕方までレンタカーで移動し、白山神社、永平寺、恐竜博物館、道の駅と4か所見ることができ、越前おろし蕎麦も大満足。

永平寺内のギフトショップで、坐禅時に実際使われている座布団が売っていたのだけど、値段と大きさから今回は断念。

次回来れた時には必ず!!

生きている間、自分が煩悩に負けそうになった時など、あと最低2回は永平寺に拝観しに訪れたい。

雲水さんらの修行についてこちらの動画を観て、お坊さんの見た目だけではいつ頃の映像なのか分からない。

だけど作法の美しさ全てが今の時代に足りていない厳しさにハッとさせられた。

現代人の不調はほぼ生活習慣病。

医者は未病を大抵ストレスのせいという。

誰しもあるストレスに、耐性がない状態まで健康(睡眠、食事、運動)をだらしなく疎かにしたことが原因。

そしてそれがほとんど食源病と自分への甘え、それを気付かされる。

煩悩にまみれたこの世界ではつい惰性は緩み引っ張られる。

怠惰な気持ちを引き締めるために、自分のために購入したものが精進料理のレシピ本、自宅では小麦と乳製品をやめているのでおやつ用に水羊羹。

道の駅では余計なものが一切入っていないシンプルな梅干しとたくあんを購入。

スーパーの漬物なんて添加物まみれで食べれない。

糠と塩と唐辛子だけで作った沢庵なんて感動もの。

 

 

雲水さんに倣い、音を立てないようにたくあんを食べてみる。

東京に帰ってきてから、朝ごはんを食べながら永平寺の修行動画を観ていたら色々なものへの感謝が込み上げて涙が出てきた。

健康で、ご飯が美味しく食べられることへの感謝。

欲のままに食べる食事の不健康さ。

何を食べるか、どう食べるか、食事の大切さを身に沁みる。

セロトニンとオキシトシンがドバドバにまみれて、調節が効かない。

『幸せすぎて怖い』なんて言葉があるように、幸せ感じ過ぎても自死する人もいるから、ゼロヒャク思考持ちはまた情緒不安定になりそうで怖い。

どの幸せホルモンも出過ぎも出なさ過ぎも問題だな。

ドーパミンも大事だけど、ドーパミン頼りの幸せホルモンの人間は、自分のことしか考えていない人間になってしまうから、やっぱりバランスって大事。

たぶん幸せは、ほどほどが1番幸せなのだと思う。

 

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