まだ私が実家に住んでいた約12~3年くらい前の話。
母の友人で、実家の店の常連さんだったおじさんにものすごくお世話になった。
3人で一緒に越中八尾のおわら風の盆まつりや、能登半島などへ旅行に連れて行ってもらったこともあったり、エクシブ会員でいくつかのホテルに泊まらせてもらったりもした。
美容室や風俗店などを複数経営してて、羽振もよかったが2度3度か脱税で捕まった経験もあっって、10年前の旅行の直後に追徴金1億円以上を分割で支払っているという話は聞いていた。
元々モテない男の女好きだから、お金目当てで女が擦り寄って来られると拒否できない優しいというか女性運というのか見る目もなくて、何度目かの女房の浮気を疑って寝室に録音機を仕掛けて調べたら、ヤクザの男との情事がばっちり入っていたとかで離婚になったが、家一軒丸ごと乗っ取られて、自分は狭小賃貸のワンルームにタンス預金をしながら住んでいた。
商売を複数やっている人にとって、家なんて寝に帰るだけのものだから、執着さえなければそれはそれで苦でもないのかもしれないが。
いつも私の顔を見るたびに『大丈夫、君なら絶対いい人見つかるから!結婚できるから!』が口癖のように挨拶がわりに必ず心配してくれた優しいおじさん。
そんな会話を最後にしたのが1年半前。
2025年1月3日に亡くなったという話を母から聞いた。
本人は心臓弁膜症の手術したり、糖尿病や高血圧やらの生活習慣病のオンパレードで、最後は軽い認知症みたいになってしまっていて、気にかけてあげていた母がたまたま食事を届けにいったら、ベッドのマットレスの下敷きになって身動き取れなくなっていたところを発見し、救急車を呼んだ時が去年の春だそう。
最後はどのくらいお金が残っていたのか、追徴課税をまだ払い続けていたのか、プラスなのかマイナスだったのかは知らないが、生活保護を受給するために、とにかくおじさん名義の財産は清算しようと弟さんが動いていたそうで、スマホも解約されて居場所も分からないまま友人とのお別れもできずに最後を迎えた。
母はおじさんが入る予定のお墓の場所は知っているらしく、お寺に見に行ったらまだ墓石に名前はお彫られていなかったそうなので、まだ弟さんのところに保管されているんじゃないかと推察。
本当に優しくて楽しいおじさんだった。
私と母が絶縁していた時も、心配してたまに気にかけてはご飯を食べさせてくださった時もあった。
文字に残すと若干やばいおじさんっぽいけど、とにかく優しくて面倒見も良くてお人好し。
たくさん楽しい思い出をありがとうと記録を残しておきたくなった。
ずっと気にはなっていたのに、お見舞いに行くことも叶わず。
埋葬されたら感謝を伝えに行きたい。
姉と弟がいるそうだが、あまり良い関係ではなかったそうだから、独身で兄弟でも考え方が違うと頼れる者もいないし、後継者を育てなかったおじさんの責任でもある。
他人の生き様や死に様は長年経緯を知っていると、どう生きるべきかの指針になる。
身近で人の死に際の話を知れることは大きな学びになりそうだなと感じた。
そんな死について、死ぬ時のことについて考えていた今日この頃。
いとこの継父が死んだそうで、火曜日に密葬するのでと母だけ葬式に参列しにいったそう。
私より3つ4つほど年下の従姉妹2人姉妹。
母の妹は網膜色素変性症という遺伝性疾患の視覚障害者で、後天的に徐々に目が見えなくなりお酒に逃げてアルコール依存症で47歳くらいで死んだ。
最初の夫は女を作ったり海外転勤で離婚。
従姉妹が小学校高学年頃に再婚した継父が本当にしたたかで嫌な男だったそうで、そのストレスから姉妹揃って頭が禿げてしまったくらい。
性格はお調子者で祖父母が嫌うくらいのおべっか使い、目が見えない年の離れた若い女と結婚する団地住まいの独身男って聞いただけでも完全に財産目当てにしか聞こえない。
だけど母の妹のお墓を建ててあげて、死んだ後も従姉妹と親子関係が続いて従姉妹の姉ちゃんの子供が1歳で突然死してしまった後に離婚して出戻った時もおじさんが面倒を見てあげていた時もあったそうで、再婚した後も血は繋がっていなくても孫の子守りもしていたそう。
自分勝手に自分本位に生きていれば孤独死をしていたかもしれないおじさんも、自分の妻が死んで妻の連れ子と繋がり続けることで独居老人にも孤独死にもならずに済んだ。
晩年は本当にいい人になったんだよって、親の再婚のストレスのせいで禿げた従姉妹が葬式時に言っていたそう。
子守りのサポートをしつつ、82歳は十分生きたんじゃないだろうか。
お調子者でおべっか使いで嫌われているなんて話を母からずっと聞かされてきたけれど、自分の考えをもつ大人になった今感じるのは、自己肯定感がとにかく低くて寂しがりやで自分の無価値観が強すぎたせいで、手に入れた家族に必死に取り入ろうとしていたんじゃないかと思ってしまう。
結局人の見え方って見る方角を少し変えるだけで全く別物に見えてしまうから、偏見主義の片一方聞きは本当に良くないな。
晩年寂しさ埋めに別の女性に走るでもなく、目が見えない母の妹でも最後まで愛を貫いて死んでいったのかなと思うと、家族に血の結びつきなんて関係ない本人同士の気持ち次第なこともあるなって何か温かいものを感じさせてもらった死だった。
曼荼羅家ではいつもうっすら酔っ払ってて軽薄な言動で、ずーっと薄っぺらい会話しかしないという評判の悪いおじさんだったのに、いざ死んでみると晩年の生き方次第で人間の評価は挽回できるということなのかもしれない。
私にもまだまだ挽回のチャンスはありそうだなと、勝手に都合よく前向きに解釈させてもらった。
そしてお葬式に参列した時に、従姉妹のお姉ちゃん40歳の方は子供が2人で、妹ちゃん38歳の方は4人の子持ちになっていて1番下子が1歳4ヶ月だそう。
妹ちゃんの旦那さんは複数会社を経営してバリバリ働いていたそうだが、太り気味。
旦那の親父さんも太り気味だそうで、それが普通になってしまっていたんだろうな。
従姉妹の妹ちゃんと子供4人残して去年まだたったの40歳で脳梗塞で呆気なく死んだ。
4人の子持ちシングルマザーになってしまった従姉妹の妹ちゃん。
遺族年金が入るから、パート暮らしで生活できているらしいけど、元々痩せ気味だったのがさらに骨と皮だけで生きているみたいにガリガリになっていたそうで、うちの毒母は子育てしているだけで偉い勝ち組みたいな価値観だから、そういうのに弱くてうんざりげんなり。
あまりにも痩せ細っている姿で4人も育てているなんて可哀想というレッテル貼りにうんざりしたので、私もガリ痩せしたら同情してくれるんか?って思わず言ったら黙った。
東洋医学的にいうところの、医者や政治家やアスリートなどに多い典型的な実証で熱証の人か。
体力が有り余ってギラギラ働けるタイプの人は、ちょっとの不調でも無理が効くタイプだから多少寝なくても動けてしまうので養生しない。
そこに高脂質や高糖質の食事をしていたのだとしたらそりゃポックリ行ってしまうわ。
うちの姉の43歳の旦那も同じタイプ。
国内に2店舗、海外に1店舗飲食店を経営してて、来月国内にまたもう1店舗オープンするのだとか。
去年無理が祟って間質性肺炎になり、免疫弱っているせいで入院中にコロナに感染して治療薬飲んだら合わなくて薬疹まででてしまったという不運。
普段の食習慣がとにかく悪い、悪すぎる。
現在100kgオーバーの超肥満の義兄。
相変わらず姉も同様で変わる気なし。
外食は本当に病気になる。
外食の店を経営して、後継者を育てずに、自分で味見ばかりしているから病気になって。
見えるのは1月3日に死んだ1人目に死んだおじちゃんの末路と同じ未来。
自分よがりの悪食習慣は運も遠のく。
お客さん見ていても30歳過ぎて、自炊ほぼゼロ、コンビニスーパーの惣菜や外食生活がメインの人で病気になっていない人なんて見たことないレベル。
私の体もセブンイレブンでできていた20代にアレルギー体質発症したり、1年の大半が具合悪かった。
節食開運説があるように、自分の運命を良い方向へ切り開きたかったらまずは食習慣の見直しからが最重要な気がする。
お金と成功を手に入れても、食事の好き嫌いが激しく女運も悪く、最後は生活保護で認知症、弟に迷惑かけながら死んでいく人生の男。
お金も女運もない、団地住まいの独身中年が障害者手当などのお金目当てか否か目の見えないおばさんと結婚し先立たれた後、血縁関係にない娘2人と親子関係を継続して孫のお世話までし、最後は看取られて死んだ男。
お金と成功と女と幸せな家庭を手に入れても、運動もせずに養生せずに好き放題食べまくって自分は大丈夫と過信し、呆気なく40歳で死んでいった自分勝手な男の末路。
30歳過ぎたら健康維持のための養生をしないと無理も誤魔化しも効かなくなる。
40歳過ぎたら命の、病気にならないための養生をしないといつ死ぬかわからない。
女性はひとりでも自炊養生率高いから平均寿命も長い気がする。
男性の方が無理も勝手も甘えも強い傾向があるから弱った時にあっという間で、平均寿命が女性よりも短い気がする。
3人の男の死に様をここ最近立て続けに聞き、果たしてどれがマシなのか幸せなのか。
今、築60年の分譲マンションに賃貸で住んでいて、正直好立地以外何も良いことないので本当は今すぐにでも引っ越したいと毎日思っていた。
だけど、超高齢の独居老人女性ばかりが住んでいるマンションだからこそ、ここにはたくさんの学びがあるような気がして最近引越しを踏みとどまることにした。
認知症のお婆さんが連日訪問してきた時もあったし。
隣の足が悪くて毎日外出もままならないお婆さんにお買い物を頼まれた時もあった。
マンションの入り口によく住民以外の人のママチャリがとまっているのは、恐らく民生委員的な人の出入りなのかなと思われる。
新宿という大都会にも関わらず、週1でスーパーの移動販売トラックが来る時にも付き添いのヘルパー?民生委員?ボランティア?なのかわからないけど、毎週来ている女性の方も見かける。
初めはとにかくうるさい環境だったり、古すぎることでの問題が多く、メリット皆無なマンションな気持ちにもなっていたけれど。
老後のひとり暮らしの便利と不便と困った時の対処など知れる学びがとても多いマンションだなと、思考を変えることでストレスが軽減した。
うわごとのように死にたい死にたい言っていた厨ニ病時代から、ようやく本物の死に向かってどう生きるか、どう死ぬのかについて向き合って考えられるようになってきた気がする。
どう死にたいかなんて理想はあっても、現実は明日突然風呂場で沈んでいるかもしれないけど。
それでも考えもせずに惰性で生きるのは嫌だから。
向上心を持って死に向かいたい。
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