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どこから目線

仲本工事さんのように突然車に轢かれてあっけなく死んでしまう高齢者。

思っている以上に反射神経、手も足も出なくなってくる上に、視野も世界も狭くなる高齢者。

過信なのかうっかりなのか。

はたまた何も考えていない思考停止の思考なのか。

通院を始めた順天堂医院で先日、上りエスカレーターに乗って真ん中付近を過ぎた頃、突然すぐ右隣の下りエスカレーターに乗って降りようとしていた杖をついたお婆さんの『あっ!』という声で顔を上げると、目の前で直立したまるで棒のようになった人間が頭から半回転して落ちていった。

目の前を、頭から下に落ちていく姿がスローモーションのようだったけれど、ほんと一瞬だった。

ああいう時って、きっと手も足も動かない。

高齢者だから尚更。

しかも片手には杖。

そのまままっすぐ細長い棒が半回転しながら落ちていったようにも見えて、人間には見えなかった。

下りエスカレータ前方に誰もいなかったのは幸か不幸か。

大柄な男性であっても受け止められる人なんていないか。

ならば巻き添え事故にならなくてよかったと思うしかないか。

登り切ったエスカレーターの上から下りエスカレーターを覗くと動かなくなった老婆。

エスカレーターの半分以上を落ちていったのだから、怪我していないわけがないので一瞬だけ視線を落としたが、それ以上は見ないように目を背けた。

すぐに非常停止ボタン、緊急を知らせる院内放送、猛烈ダッシュしてくる医師とすれ違った。

ここが病院でよかったですねと心の中で思いつつも、順天堂医院のあのメイン玄関って何故あんなに高齢者に優しくない洒落た作りしてやがるんだとモヤついた。

医者の移動効率とか諸事情があるのかどうかは知らないけれど、腹痛の人や車椅子や杖、ベビーカーの人など患者全般にとって、会計も受付も全てが2階という効率も安全性も面倒な作りだなって事故を目の当たりにして不思議に思った。

病院内で大怪我なんてギャグにもならない。

そして案の定、目の前で見てしまったショッキングな出来事が脳裏に焼き付き、メンタル引っ張られた。

引っ越し後の部屋のトラブルが続き過ぎたせいで余計落ち込んだ。

しばらくネガティブメンタル。

これは誰かに聞いてもらうなりして吐き出さないとしんどい。

注意喚起も込めて、まずは親父。

うわーっと言いながら黙って聞いていた。

少し腹の中のネガティブが和らいだ。

次は3年前に股関節の手術をして、脚が弱ってきている母にも話した。

ついでに足腰弱り反射神経も鈍くなっている高齢者である自覚の上、エスカレーター乗る時は十分に注意するようにと、手すりを先に掴まることや、エレベーターがあるのならそっちを優先するようにと、脚が弱っている高齢者なのだから1回のつまずきが命取りなるよと伝えた。

すると『私も子供の頃住んでいた家の近くの踏切りで、バラバラになった遺体を見たことがある。』と言ってきた。

うーん。

その話は昔何度か聞いたことはあった。

なんでかなぁ。

負けずに自分の実体験を被せて話してくる癖がひどい。

私も数年前までは同じような話し方をしていたから、特に気になる。

毒母の言動に対する洗脳が少しは解けたと思うので、母親と似たような話し方にはならないように気をつけてはいるから、余計敏感になる。

んで?

だからなんなの?って言いたくなる被せてくる割に、オチのない言いたいだけの話し方。

共感性を持たせたいだけという意味で私の場合はよく相手に合わせた引き出しをネタに持ち出す。

だけど母の話し方は、その後の会話を広げる気がないのでただのマウントにしか聞こえない。

私の方がもっとひどい現場を見たことがあるという張り合い方。

半年前にも『私は15歳から働かされていた。』と同情そそりたいのか突然そんな話をされたので、だからなんだよ、私も中学卒業してすぐ、4月1日の15歳からバイトしてたわって言ったら、私はまだ中学生だったと自慢げに言ってきた。

思わず時代も法律も違うだろーがと突っ込んだ。

後で冷静に考えてみれば、私は10歳から親に入れられた劇団で、子役タレントとして働かされていたのだから、母親よりも若かったわ。

それにしても最近ネットニュースやそれらのコメント欄、記事やコラムなど、さまざまなところで目に入って気になっているのが、相手を“褒める”とそれを“上から目線”と捉えるような言葉の数々。

純粋に凄いとか尊敬に値すると思えば相手にそれを素直に伝えたいと、常日頃から思って生きているし、sexレッスンに来る男性はあまりにも自信がないし自己肯定感も低いまま生きている人も多いので、いいところが見えればできるだけそれを生かして伸ばして自信に繋げてほしいと思うので、必ず言葉で伝える意識をしている。

だから褒めると上から偉そうという価値観を持っている人の言葉が、最近目に入るととてもモヤつく。

一昔前頃なんかは注意をされ慣れていない、打たれ弱いというゆとり世代の話題をよく目にした気がするけれど、今は褒められ慣れていない人間があまりにも多すぎるのじゃないかと感じてならない。

指摘することはエネルギー消費も半端ないし、逆恨みされると何するかわからない人間も少なくないから、人をあまり注意することすらしなくなった現代で、他人と関わることすら面倒だからなのか、どう伝えていいか意思疎通や自分の考えを相手に伝え慣れていないのか、原因はよくわからないけれど、とにかく褒めることすらしなくなった時代なんだな、寂しい時代だなってネットを眺めていて感じた。

褒めるとなぜその褒めた人間の方が上なのか。

確かに皮肉で使う場面もゼロではないとは思うけれど、それも含めて冷静に相手の言葉を受け止められない人間があまりに多いのだろうか。

個人的な推測でしかないけれど、一昔前あたりから発達障害や境界性知能、毒親などと言われる言葉が広まったということは、それらの特性を持つ親が子育て世代となり、褒められたことのない子供たちが増えたのではないかと。

親に褒められたことのない子供たちが、大人になり社会で上司や同僚や友人にたまたま褒められたら『どこから目線で言ってんだよwww』みたいな反応しかできなくなったのかなと。

もちろん全ての傾向が一緒といって一括りにする気はない。

だけどあまりに寂しいし悲しい世の中だなって思う。

褒められても素直にありがとうが言えない人種。

その褒め言葉が純粋な言葉なのか、皮肉なのかの区別もつかない人々。

スマホ依存や対人関係希薄の末路なのかな。

これじゃあ一生自信もつかなければ、自分のいいところにも気がつけないし、そりゃ卑屈にもなっていきそう。

注意されても指摘されても逆ギレ、褒められても偉そうに言いやがってってか。

出る杭は打って足を引っ張り、日本人みんな仲良く大人しく静かに生きましょうっていうような平坦な協調性の末路なのかな。

会話をしてて、相手の素敵だなとか尊敬できる部分を褒めることすら躊躇っちゃ、仕事にならないわな。

レッスンに来るお客様は、厳しい意見も良いところを伸ばすための言葉もどちらもわざわざお金を払ってでも聞きたいから、来られるのだと思っているので、それを言わなくなったら私のレッスンもお終いだなとも思う。

だけどその中には上から目線で偉そうにって思う人もこれからは増えてくるのかな。

ほんと息苦しい世界だな。

だったらなんのための『言葉』なんだろう。

いっそ宇宙とか海の中とか喋ることも困難な状況下に置くか、英語や中国語すら1ミリもわからないような世界とか、いっそ言葉のない世界で生きた方が幸せだったりして。

褒めると上から目線って思考の人種に、最近モヤついている。

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