幸せ=ノーストレスなのか?
それとはまた違う気もするけれど、完全に別物とも思えない。
幸せは、悲しいとか怒りとかと同じでうわぁっとやって来る感情のひとつだと思う。
好きな事や人、物だけを選び囲まれて生きれば幸せだと感じれることは多い。
ノーストレスとは嫌なこと苦手な事、人や物を排除すれば誰でも得られる生活な気がする。
だから似ているけれど同じじゃないような。
この1年、私は幸せだと日々噛み締めていたような気もするが、最近なんかそれとも違う気がして来た。
もちろんやりたいことを好きなようにやれる人生、誰からも制限されずにお金を稼げる、こんな有り難くて幸せなことはない。
幸せともいう人もいそうだけれど、むしろ感謝の方が大きい。
幸せのカタチってまだまだこんなもんじゃない気がする。
まだどんなものが自分にとっての最良の幸せなのかはわからないけれど。
じゃあ今のカタチは?
好きなことややりたい事だけをやっている生き方してるじゃない?
やりたくてもできない人、やりたいけど行動する勇気がない人、色々な理由で行動できない人からすると、幸せじゃないかと思われるような気もする。
ここ最近ちょっと考えたときに今の私の心の状態は何に近いのか?そんなことを考えたときに一番しっくり来たのがノーストレスな生活という言葉だった。
ある人から言われたアドバイスで、ストレスを溜めないことと何度も念を押されたのだけれど、今の私のストレスってはて?
わがままで我慢できず、すぐにメンタルに現れやすい私だから、ストレスと思うものは一切排除して生きている今。
どん底から這い上がるために選んだ生き方だ。
合わないなと思う人とは距離を置く、仕事相手も選べて好きな時間に寝て好きな時間に起きて仕事をする、プライベートレッスンで悩める男女にアドバイスをし念願のささやかではあるが社会的貢献や承認欲求をも満たせている、空いている日に調整し自分の行きたいところへ遊びにも行けている。
まぁこんな生活が長く続けられるとは思っていないが、全ての嫌なもの嫌いなこと苦手な人を排除できたからこそ今、ストレスが全くないことに気がついた。
7月に出会った新規のお客さんはみんないい人だったし、何人かありがたいことにリピーターになってくださっている。
だからノーストレスで生きられていることには幸せを感じている。
でもノーストレスなことが幸せかというとなんだかしっくりこない。
喜怒哀楽も何も感情の起伏がなく穏やかすぎて、なんだか私らしくない気もして不安になる。
人間ってわがままなものだな。
幸せを噛み締めると、不安に襲われる。
ずっとこのまま続くわけじゃないとわかっているから。
だから久々に最高に楽しい時間を過ごした後って、ちょっと鬱っぽくなる。
夏休み最終日の線香花火みたいな気分。
もともと昔から飽きっぽいのもあるが、変化を好む性分で、あまりに色々な感情を取っ替え引っ替えした生き方をしてきているので、ノーストレスな生活がなんだかボケるんじゃないかと思うほど不安に駆られる。
自律神経失調症から立ち直れた証拠?
精神面が成長し、コントロールできるように強くなったのか?
感受性が鈍くなった?
ノーストレスでいられるのもずっとじゃないと思うと、今のこの状態を喜んでもいいのかもしれないけれど、不安にもなる。
ノーストレスとは日々が穏やかすぎるというのも考えられると、行動力が足りない?
確かに今年の夏は、暑すぎて自宅からほぼ出かけていない引きこもり生活。
やっぱり自分自身の成長のためにはノーストレス生活でいるのは良くない気がして来た。
好きとか嫌いとか関係なく、色々な人と出会い刺激され、喜怒哀楽の感情が発達する。
無自覚だったけれど、自律神経やられるスレスレの生き方とか嫌いじゃないみたい。
イライラしたり、辛く悲しい思いをした後にやってくる幸せの感情は喜びもひとしおだ。
そういう結論に行き着くと、多少自律神経がやられても、平和で穏やかな人生よりたくさんの刺激を受ける人生を選びたいので、私はやはりノーストレスな生活は望んでいないのかもしれない。
ということで、これからはよりもっと積極的に行動して、辛いこともイライライすることも逃げずに立ち向かっていくぞ。
そして辛くてもイライラしても、頑張った人にしか味わえない幸せを噛み締めるんだ。
そう、このブログで出会ったかけがえのない幸せのように。
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