残りの人生があと約半分だとしても。
あと約40年をひとりぼっちで生きるにはあまりに長すぎる。
自由を満喫したくて独身を謳歌している人、低所得すぎて結婚すらできないでいる人、誰かと同居することが無理な人など他にも様々な理由で1人で生きている人たちがいる。
仕方なく独りの人と、独りがいいから独りの人とだいぶ違う。
自分の場合は理由は色々あるが仕方なく独りに近い。
今更こんな神経質なおばさんを貰ってくれる人がいるかというと、かなり厳しい現実だとも理解している。
あとは学生ローンやら借金が終わるまでは婚活はしてはいけないと自分の中で決めている。
格好つけて固い意志を持っているように見せつつ、でも実は逃げているのかもしれない。
大丈夫だよ、僕が面倒見てあげるからと甘い言葉で言い寄ってきたのに、2ヶ月ともたずに捨てられたあの彼と応援してあげると言っていたのに4ヶ月しかもたなかったあしながおじさんのトラウマを引きずっているのかもしれない。
美味しい言葉で信用させておいて、いきなり去られる痛み。
確かにこちらから傷つけたかもしれない。
それでも男性はすぐに甘い言葉や都合のいい口説き文句で言い寄ってくる。
あれ以来言葉で何かを言われても一切信じなくなった。
言葉ではなく、行動で示してくれる人が1番。
恋人だけじゃない、家族だったり友人、お客さんでも同じことが言える。
応援してるからと来月は絶対に行く行く詐欺ではなく、黙っていても都合がついてスッとアポイントの連絡してくださる人が1番信頼できる。
言葉なんて何とでも取り繕うことができる。
そんな考え方をする私は寂しい心、卑しい気持ちの表れ?
正当する気もないけれど、人として普通なら隠したいような部分をさらけ出して、人間臭さがあってそれはそれでもいいんじゃないか?とも思う。
不器用ながらも人間臭く生きる。
私は嫌いじゃない。
そんな人と自分の人生の失敗も含め、どんな失敗でも「バカだなぁ」と笑いあいたい。
人生80年、長かったなぁと感じるか、あっという間だったなと短く感じるか、死ぬ時になってみないとわからない。
でも現時点で、平均寿命を全うしたとしてもこの先まだまだ約40年、孤独に生きるにはあまりにも長すぎる。
子供を産んで育てる人生と子供を産まない人生、どちらも否定も肯定もしないけれど、昔からの世間一般的な流れで行くと、代々ご先祖様がいて、子供を産んで育ててくれているから今の自分も存在する。
動物と同様に人間も一生のうち一度はやはり産んで育てるようになっているのか。
だから80年もあるのか?
人は一生のうち一度くらい愛する誰かの為に生きるようにできているのかもしれない。
友人や身内の子供を見た時に、すごく冷めた気持ちを持っている自分もいる一方で、時折自分の中にも母性を感じる時がある。
娯楽がたくさんあふれている世の中で、不自由も退屈も感じない。
でも大勢の中にいる独りはとても孤独に感じる。
一体私は何のために生きているのか?
この先もあと40年も。
もしも旦那さんや子供がいたら、守るもののためとか子供のために頑張って生きる意味を見出せそうな気もする。
人間て1度くらいは誰かの為に頑張って生きる機会があるのかもしれない。
何のために1人で、必死になって風俗嬢やってまで生きているのか意味がわからなくなる時がある。
気づけば風俗嬢人生も4年目に突入し、最近つくづく感じる。
このまま社会的信用も取り戻せずに独り60歳になった時、まだ今の部屋に住んで風俗嬢をやっていたら・・・?
そんなことを思うたびに、60歳の還暦を迎えた瞬間に自ら棺桶に入って、扉を閉じて「じゃっ!おやすみなさい」と言って眠りたい。
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