子供の頃、自分が最年少だという自覚がなく、まだ物の分別がつかない頃に、周りの大人が呼んでいる呼び名で自分も同じように発していたらしい。

姉の名前も親が呼ぶのと同じように呼び捨てにして注意されたりしたそうで。

小学校低学年の頃に、上級生のクラスの先生の名前をそのクラスの生徒はニックネームの愛称で呼んでいて、何を思ったのか私も同じように呼んで怒られた記憶がある。

うろ覚えなので詳細は覚えていないが、とにかく子供心に人の名前を呼ぶときは気安くしてはいけないんだなとインプットされ、それ以降友人をニックネームで呼んだり、下の名前の呼び捨てなんてもっての外だった。

小学校高学年になっても、中学生になっても、女子と群れることができない性分のせいか親しくなれなかったので、呼び方は○○さんとか少し仲良くなっても○○ちゃんっという感じだった。

高校に上がってもずーっとそのままで、名前の呼び方や呼ばれ方に異様に気にする人だった気がする。

それは今でもそうで、自分も下の名前で呼び捨てにされる抵抗がある。

それは自分の名前が嫌いだからというのもあるのかもしれない。

そしていつしか会話も敬語で話すことが普通になっていった。

いつからだろう。

心当たりは母と喧嘩するたびに生意気だと怒られてきたからか、生意気な言い方をしている自覚はないのだけれど、親子だと敬語は使わない。

それで余計にひどい口調でひどい事を言っているように聞こえたのかも。

だから異常に反応し、外では気をつけようと他人と話すときは敬語が基本に染み付いた。

10年来の友人にもいまだに敬語の人もいる。

敬語と言っても、丁寧語に近い。

それによって壁や距離を感じるからやめてと言われてしまうと困るのだけれど、私的には距離を置くための敬語ではない。

自分自身が極力綺麗な不快のない言葉で会話をしたいだけ。

相手にはそれを求めていないので、私が敬語であっても自然体で話しかけて欲しい。

ただ、失礼な物の言い方や、相手がどう思うかを配慮されていない文章や言葉遣いの人には敬遠する。

極端な例だけれど、“食った(くった)”という汚い言葉遣いが嫌いだし、相手とバトルになった時にすぐ“死ね”という語彙力のなさは嫌なんだな。

私だって大した勉強もしてこなかったからボキャブラリーも少ないし、語彙力なんてないけれど、だからこそ丁寧な日本語を話したいと思っている。

それが染み付いて誰に対しても敬語になってしまった。

これも友達ができにくい要因の1つなのかもしれないけれど、頑固なババアは今更直せるものでもないし。

もしこの記事をたまたま読んで、もし私と会うことがあればどうか「敬語はやめて〜」と言わないでください。

距離を置くための敬語ではないし、崩すとキツくなりやすい私の言葉をより丁寧に話すことによって、相手に不快や傷つける事を少しでも減らしたいという私の勝手な考えなので。

日本語って本当に難しい。

1文字違うだけでニュアンスが違ってしまったり、全く違う文章になってしまうこともある。

以前、学校の先生の読者様でお客さんに言われたこと、このブログも旅ブログもツイッターも全部言葉遣いやトーンが違うからそれぞれ別人が書いているのかと思ったと。

さすが鋭い、国語の先生。

文章って良くも悪くもそうやっていくらでも印象操作できるし、自分ではない誰かになりきることもできる。

自分でもブログ当初の文面は本当に精神病んでいたなと感じる。

めんどくさいが口癖だったし。

そういえば、ここ半年くらいはめんどくさいなんて思うこともかなり減ったな。

言葉や文面には精神状態も現れやすいから本当に奥が深い。

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