母が言っていた通り。

人のせいにするクセがついた私はうるさい親元を離れ自立し、専門学校は一人暮らしがしたいと思った。

お料理とお菓子作りが趣味だった私は、大阪にある調理師専門学校へ進んだ。

貯金もなく、親の金銭援助は高校までというルールの我が家だったので学費半分は自分で学生ローン100万円を組み半分は祖父が助けてくれた。

引っ越して最初の1か月はバイトが決まらず、毎日近所の激安スーパーで1丁10円の豆腐を買って食べていた。

もちろん冷蔵庫もなく飲み物は賞味期限前によく腐っていた。

何か所も受けたが、飲食店のアルバイトが決まらなくてとうとう金欠に陥り、仕方なく意を決して夜の世界キャバクラデビューした。

初めて夜の世界に入った時は、親が水商売だから子も抵抗ないのかな~とか思いながらもちょっとは罪悪感があった。

でも自分で生活していかなくちゃいけなかったから選んでる場合じゃなかった。

時給2500円で、やっと冷蔵庫も買えた。

金銭感覚のない私は、家賃42,000円で24~5万は稼いでいたのに、クレジットカードを作り味を占め、何に使ったかわからない散財をしまくり、なぜか赤字の生活を送っていた。

結局水商売の同伴やノルマが苦手で2~3か月で辞めた。

もっと時給の良い稼げるところへ・・・と勇気を出しておっぱいパブに入った。

当時からややぽっちゃりだったので、ダイエットしてねと言われつつもやや巨乳でごまかせ採用してもらえた。

時給は3,500円

チークタイムで、カーテンでしきられただけの個室で座位の体制でいちゃいちゃタイムがあったり、ロックグラスにカットフルーツが入ったものをボーイさんが持ってきて、1000円で女の子と口移しをするというイベントが毎日あった。

私のディープなファーストキスはここで失った。

結局1か月しても体形が変わらず痩せれなかったので、クビになった。

働き口を探すも思いつかず、次はとうとう援助交際に走った。

私の初めての人は援助交際の知らない男。

生まれて初めて見た勃起ちんこでも小さいと思ったほど小さなちんこだった。

何人かと援助交際を繰り返した頃、やり逃げをされたのでそれを機にやめた。

こんな仕事ばかりしてまともな仕事がなく困っていた私に、見かねた担任が行きつけの元クラブのママがやっている小料理やのアルバイトを紹介してくれた。

時給はたしか1300円位だった。

そこにやっと落ち着いたが、相変わらず夜型生活で朝が起きられず遅刻しながらも大目に見てもらいつつ1年で何とか調理師免許も取得し、卒業することができた。

学校では「標準語がむかつく」などと言われ、友達も1人しかできず大阪は肌に合わなかったのか1年で東京に帰ってきた。

やっぱりここでも逃げ癖がついている自分。

自分で選んで大阪に行ったのに、あっさり1年で逃げ帰ってきた。

夜の仕事もどんどん高時給を目指しエスカレートして麻痺していった。

↓これでも一応
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